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与那国島の海底遺跡①:深海のパワースポットはムー大陸の古代遺跡?研究は今も続けられています

与那国島 海底遺跡

日本の最西端にある、八重山諸島に位置する与那国島。
1986年、一年を通して温暖な島の気候と人々が、のちに世界中から注目される発見のニュースがもたらされます。

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与那国島海底遺跡1:今なお続く専門家たちの研究
与那国島海底遺跡2:レムリア文化とムー大陸
与那国島海底遺跡3:海底遺跡のモニュメント
与那国島海底遺跡4:海底遺跡の建設は当時の技術では無理だった
与那国島海底遺跡5:沖縄・八重山諸島とスピリチュアル文化

 

ムー大陸の古代遺跡?

島の南にある新川鼻(あらかわばな)と呼ばれる岬の沖合で「海底遺跡」が発見されたのです。
発見したのは、地元ダイバーの新嵩喜八郎さんです。
新たなダイビングポイントを捜していた時のことでした。
そして、後にここは未知なる伝説の大陸の遺跡として世界中の研究者をはじめ、スピリチュアリスト、チャネラーたちによって訪れられている特別なエネルギースポットになりました。

これだけ世界中で有名になった遺跡は、ある説がきっかけでした。

琉球大学の教授である木村政昭教授が、与那国の海底遺跡はムー大陸の古代遺跡であると発表したからです。

 

 

古代遺跡説の裏づけ論

教授は幾度となく海底遺跡を調査する上で、古代遺跡と位置づけたことを次の点から挙げています。

①道路、石組み、敷石、排水溝と思われる石碑に、巨石の組み合わせが存在する
(つまり人工的に定めたと思われること)②20cm~30cm間隔で並ぶ楔を打ち込んだような竪穴の後がある
(自然侵食でできたものでは考えにくい)③周囲の壁で出来ている部分が、平面になっており通常の侵食では考えにくいこと④テラス状の地形は左右対称となっていることや、加工跡が残っていること

⑤垂直壁面が自然崩落と推定する場合、壁面の直下に岩石の残骸が残されていなければならないが、それが見当たらないこと

などです。

 

 

現在でも幅広く研究が続けられています!

その後、慶良間諸島で、サークル状のものや、人工物と思われる穴などが沖縄の多方面で見つかり、ロゼッタストーンと呼ばれる石版も発見されたことから、さらに、教授は沖縄だけでなく韓国や台湾、ポリネシアなどにも範囲を広げて研究がなされ、書籍も多く発表されています。

約一万年ほど前に、海面の水位上昇に伴い沈没してしまった遺跡と見られる古代遺跡(ムー大陸の遺跡)の説と同様に力強く唱えられているのが、自然にできたとされる地形説や、侵食説です。

 

 

ムー大陸、レムリア大陸はどこにあった?

そもそも、ムー大陸はどのへんにあったかということがとても重要になってきます。
多くの文献、研究者、著者たちにより、ハワイ諸島、ポリネシアや、イースターを含む太平洋上にあったとする説が有効とされてきました。
イースター島などは、沈んでしまった巨大都市文明の山であった場所が島になったとされる説もあり、モアイ像などはその裏づけとも言われています。

そして、ムー大陸と同様、否一部である言われているのがレムリア大陸です。
これも、太平洋上にありハワイ諸島の島々ではレムリアにまつわる痕跡や、そのエネルギーが感じられるとされるパワースポットが多く点在しているのも事実です。
また、ムー大陸があったとされる、ハワイ、イースター島などの太平洋の島々にある言語もまた古代文明説を後押しすることになっています。
ムー大陸で使われていたとされる、言語は同じ言葉が二語並ぶことが多かったといわれています。
ロミロミや、マケマケのように、イースターやハワイで多く使われている言葉にも、同じ言葉が二語並ぶことがよくあります。

 

 

レムリア大陸というのは、もともと存在しなくムー大陸が沈んだ際に残った部分がそれと呼ばれるようになったという説もあります。

いずれにせよ、日本の与那国島で見つかった海底遺跡が古代遺跡のものであるとするならば、それがムー大陸か否かというよりも、紀元前3000年前にできたエジプトピラミッドよりさらに5000年前以上に発達した文明が存在したということが、論争の神秘を呼んでいます。

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