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ダウジングとチャネリングの関係性

ダウジング
初対面の人にも関わらず、いつかどこかで逢ったような感覚、ギャンブルにおける「ビギナーズラック」、直近起きる事象がなんとなく前もってわかってしまうという、説明不能の「勘働き」など、人間が機能として顕在化させているにも関わらず、起こった結果に対する説明を誰もなしえない、という不思議な出来事が、数多く存在しています。

スピリチュアルの世界では、妙に「勘働き」が活発になっていたり、既視感を感じたり、ビギナーズラックを引き当てたりする状態のことを、「チャネリング」と表現しています。
一方、「土を掘ることなく水道管を探し当てる」ということを実現したり、「ずっと前に置き場所を忘れてしまった何かを、針金や振り子を使って見つけ出す」といったアプローチについては、ダウジングというキーワードで知られています。

ダウジングとチャネリング、よく知ることでこれからの人生に、なんらかのプラス要素を加えてくれそうな両者について、考えていきましょう。

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チャネリングの原点

チャネリングという概念の原点は、「カオスな状態から整合した状態に変わること」そのものである、といっても過言ではありません。
なぜならば、結果が出るまでは、チャネリングなのか否かを、判断することが困難であるからです。

例えば既視感。
とある人が出会った誰かを「見たことがあるような気がする」と考えたとして、事実としてあったことがあるのかないのかは、後から調査してわかることであり、もしかしたら「今出会っている」ということを、この先の未来に出会った時に「会ったことがある」と感じるような感覚を、先取りしているかもしれない、とは考えられないでしょうか。

勘やギャンブル、予知夢などでもそうですが、「とある事象に対して、なんとなくそのように思った」ということが、事実として結果として機能しはじめるのは、あくまでも「事実としての結果」が出てからのことです。
結果が万人に周知されるまでの間は、直感や既視感は、個人の錯覚や思い込みである、としか認識されません。

 

 

ダウジングやチャネリングが「オカルト」扱いされる理由

映画やドラマ、小説などでよく見かけるオオカミ少年や誇大妄想の人、預言者や超能力者もそうですが、多くの人は「先を見たり知ったりする能力があるのかないのか」ということが重要な関心事なのではなく、「とある人が言ったことが、結果として事実として多くの人々に認識された」ことが重要であり、そこで初めてチャネリングやダウジングという概念が成立するのです。

この皮肉とも逆説的ともいえる状態が、ダウジングやチャネリングのいまいまの立ち位置を決めている、といっても過言ではありません。
逆に言えば、この両者には、「人間の機能」、または「偶然という概念の本当の姿」にまだまだ科学的追及の余地が残されていて、今後大きく認識や常識が変化する可能性がある、ということでもあるのです。

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カテゴリ: その他

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