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屋根の上のシーサー~沖縄の民家を護る屋根獅子のルーツとは?

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沖縄の「シーサー」と言えば、赤瓦の民家の屋根に乗ったシーサーを思い浮かべる人も多いかと思います。それでは、沖縄の王家や村落の守護獣となったシーサーが、一般の民家の屋根の上や門に置かれたのはいつからのことでしょうか。

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明治時代から始まった民家の屋根の上のシーサー

守護獣のライオンが、古代オリエントからシルクロードを経て中国にやってきて獅子になったのが紀元前2世紀頃のこと。その唐獅子が沖縄に伝わったのが13世紀から15世紀頃とされ、15世紀以降に現在につながる独自のシーサーとなって行ったと考えられています。

そして、民家の屋根の上に昇って「屋根獅子」となったのは、かなり時代が下った1889年(明治22年)以降のことなのです。なぜそんなにはっきりと屋根獅子がいつからあるかが分かっているのかというと、この1889年に沖縄で一般民家の屋根に赤瓦を葺くことが許されたからなのです。それまでは赤瓦は琉球王府と役所の建物のみで、民家の屋根には許されていなかったのでした。

沖縄らしい情景のひとつである赤瓦の屋根と、その上にちょこんと乗っかったシーサー。それはじつは、古代のオリエントからの長い年月を考えると、比較的新しいものだったのですね。

 

屋根の上のシーサーのルーツは首里城の獅子像

屋根獅子のルーツは、首里城正殿の屋根に置かれた獅子像であるとされています。

正殿の下り棟に設置されたこのシーサーは王城を護ると同時にその権威を示す「宮獅子」で、獅子の全部の身体ではなく顔だけの獅子面となっており、鬼瓦としての役目を果たしています。この沖縄で最も象徴的なシーサーがルーツとなり、その後に獅子の全身を描いて村を護る守護獣の像とした「村落獅子」などの影響を受け、近代になって民家の屋根獅子になったというわけです。

首里城の屋根のシーサーは陶製、村落獅子は一般に石でできていますが、民家の屋根獅子は陶製や漆喰製です。特に漆喰のものは、赤瓦の破片などを骨組みにして漆喰で肉付けされた独特の塑像で、赤瓦の屋根と相まってとても沖縄らしい風情を演出しています。

 

人びとの家の魔除けの守護獣となったシーサー

屋根獅子の最盛期は、瓦葺きの民家が多く建てられた昭和の初めから戦争が起こる頃までのことだったといいます。特に南部の漁村で多くの屋根獅子が設置されました。これは、農村部に比べて漁村の方が赤瓦の屋根が多かったからだそうです。

戦後は台風に強いコンクリート製の民家などが都市部で増え、赤瓦の屋根と屋根獅子は減って行きました。それでも沖縄本島南部の村々では、現在でも多くの屋根獅子を見ることができます。

民家のシーサーはこの屋根獅子をはじめ、門に設置される「門獅子」、屋内に置かれる「屋敷獅子」があり、それらは「家獅子」と呼ばれてその家の魔除けの守護獣として大切にされているのです。

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