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妙見信仰の謎…北方を司る四神・玄武と鎮宅霊符神

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「北辰妙見信仰」というのは、古代中国の「道教」で天空の北極星を崇敬する「北辰信仰」と、仏教における天部(天界に住む神)のひとつである「妙見菩薩」を対象とした「妙見信仰」が習合したもので、妙見菩薩も北極星を表します。

日本には奈良時代かそれ以前の飛鳥時代に伝来したと言われていますが、その後に日本で独自に発達した陰陽師の「陰陽道」や仏教の「密教」、そして日本古来の神道などの要素が混淆して定着して行きます。そこからやがて妙見菩薩は、古事記に登場する日本神話の造化神、天地の混沌の中から出た最初の神である「天御中主神(あめのみなかぬし)」とも習合するのです。

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妙見菩薩は、北辰と呼ばれる北極星や北斗七星が天界から地上の人間の善悪を見極め、禍福(災難と幸福)を分け、死生を決めるとされることから、災難を取り除いて敵を退け人の寿命を延ばす福徳を持っていると言われています。

 

邪霊を防ぎ、家を護る鎮宅霊符

この北辰妙見信仰は仏教のお寺では妙見菩薩が祭祀されますが、神社では「妙見神」あるいは「鎮宅霊符神」という神様をお祀りします。鎮宅霊符神というのは一般には知名度の低い神様かも知れませんが、「霊符」とは護符の一種で実は神社でお馴染みのお札やお守りの原点なのです。

鎮宅霊符とは72枚の霊符をひとつにまとめたもので、鎮宅ですからこれを家の四方に配すれば邪気や邪霊を防ぎ、家とそこに住む人の安全を守るというものです。この鎮宅霊符が日本には、推古天皇の時代(593年から628年)に百済の聖明王の第3王子である琳聖太子が日本に持って来て伝わったという伝説がありますが、実際にいつ来たのかは分かりません。しかしおそらくは、北辰妙見信仰と相次いで伝わったのではないかと思います。

 

鎮宅霊符神とは四神の玄武のこと?

霊符を用いて家を鎮めるというと、古代の日本では陰陽師の大きな仕事のひとつでした。ですからこの鎮宅霊符とその神様である鎮宅霊符神は、陰陽道と混ざり合って陰陽師が広めて行ったということのようです。実際に、安倍晴明が始祖の陰陽道の土御門系の神社では、「泰山府君」とともに鎮宅霊符神が祀られています。

それでは鎮宅霊符神とは、どんな姿をしているのでしょう?

鎮宅霊符に描かれた姿を見てみると、長く無造作に髪を伸ばし老人とも思えるのですが、その足下には亀と蛇が絡みついた「四神」の霊獣「玄武(げんぶ)」がいます。つまりその姿は、別の記事でご紹介した中華圏で良く知られる北辰を護る武神の「真武大帝」に似ているのです。同じく真武大帝の足下には亀蛇がいますが、真武大帝そのものは玄武が人格神化した神様ですから、玄武=真武大帝=鎮宅霊符神ということになるのでしょうか。

そして鎮宅霊符神は神社の妙見神、仏教の妙見菩薩ともイコールと言えますから、玄武から妙見神、妙見菩薩へと大きくつながって行きます。日本では真武大帝への信仰はありませんから、玄武=真武大帝=鎮宅霊符神が日本に伝わった後、真武大帝が外れ、妙見菩薩と習合し北辰妙見信仰の祭神として祀られて行ったということのようです。

現在では、玄武の姿が描かれた鎮宅霊符を授与する寺社は大変少ないと思いますが、大阪府交野市の星田妙見宮では、江戸時代から伝わる版木で刷られた鎮宅七十二霊符をいただくことができます。また、三大妙見のひとつとされる熊本県八代市の八代神社の妙見祭には、神幸行列に亀蛇の出し物が練り歩きます。この亀蛇の出し物は江戸時代からのもので、妙見神を乗せた亀蛇が海から来たという説話によるものだそうですが、おそらくは玄武のことだと思われます。

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