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沖縄を守るシーサーの謎。その歴史を紐解く!

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沖縄に「シーサー」が伝来したのはいつの頃でしょうか。

別の記事でご紹介しましたが、シーサーまた別の呼び名でシーシーは「獅子(しし)」のこと。つまり古代オリエントから、ユーラシア大陸中央部やインド洋、東シナ海などのいくつかのシルクロードを通して中国に伝わって来た獅子が、沖縄にまで伝来したわけです。

それは13世紀から15世紀頃ではないかと考えられています。

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沖縄最古のシーサーとは

沖縄で最も古いシーサーは、琉球王国の歴史に登場する英祖王統の王陵(浦添市)にある大石棺の、屋根と台座に刻まれた獅子の彫刻ではないかと言われています。

英祖とは、沖縄本島に王朝を築いた神の子の王朝とされる天孫氏の末裔とされ、初代の琉球国王とされる舜天の王統を継いで新たな王統を築いた13世紀の王です。この英祖王統の王陵(「浦添ようどれ」と呼ばれています)の沖縄最古のシーサーが刻まれた大石棺が英祖王の時代のものであれば、13世紀には獅子=シーサーが沖縄に来ていたことになるわけです。ただし、材質や技法から後の尚真王の時代のものという説もあり、そうすると15世紀のものとなります。

 

首里城北の寺院の橋に刻まれたシーサー

製作年が記録された最も古いシーサーは、那覇市の首里城の北面にかつて存在していた臨済宗の円覚寺の放生橋に彫刻されたもので、これは1498年の製作と記録されています。

円覚寺の放生橋とは、総門から境内に通じる池に架けられていた橋で、尚真王の時代の建造物。この橋の親柱には獅子の彫刻が並んでいましたが、先の第二次世界大戦で破損消失し、現在は一体だけになってしまいました。英祖王陵の石棺もそうですが、この石造りの橋の石材は中国産の輝緑岩が用いられており、材料・彫刻とも中国から伝来していたことがわかります。

 

いまでも村を護る最古の現存するシーサー

じっさいに像として現存する沖縄で最も古いシーサーは、沖縄本島南部の島尻郡八重瀬町豊盛の石造りのシーサーで、「豊盛の石彫大獅子」または「勢理城の石彫大獅子」と呼ばれているものです。

このシーサーは第二尚氏王朝時代の1689年に設置されたと記録されていて、その大きさは高さ142.2cm、全長175.8cmもあり、沖縄の「村落獅子」としては最古で最大のものなのだそうです。村落獅子については、また別の記事でご紹介することにしますが、当時この豊盛の村に火災が多かったことから風水師に占ってもらったところ、「火山(フィーザン)」と呼ばれていた山の八重瀬岳に向かってシーサーを置くと良いと言われ、火除けの村の守護獣として設置されたものです。

この辺りも沖縄戦のときには最前線だったそうですが、豊盛のシーサーは戦火をくぐって残り、現在でもこの地域を護っているのかも知れません。

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