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水の精霊ウンディーネ。水の精霊の本質と「オンディーヌ」

ウンディーネ

19世紀初めにドイツの作家フリードリヒ・フーケが著した中編小説「ウンディーネ」は、「四大精霊」のなかの水の精霊を主人公とした作品ですが、じつはこの小説は、「四大精霊」の存在を唱えた16世紀の錬金術師で医師、化学者で神秘思想家のパラケルススが事例としてあげたある話をもとにした物語なのです。

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小説「ウンディーネ」のもととなったお話

パラケルススが紹介した事例は、こんなお話でした。
ドイツ北西部の町シュタウフェンベルクに住むある男が、ニンフ(ウンディーネと同じ)と結婚しました。しかしこの男はやがて別の人間の女性と結婚し、ニンフを魔女だと言って離別してしまったのです。

これはニンフの誓い(制約)を破るもので、その男は二度目の結婚式の当日に怪我をし、3日後には死んでしまいました。この出来事はニンフが魔女だったのではなく、夫が精霊の制約を犯して不貞を働いたための罰で、神が精霊の復讐を許したことにより起こったものだということです。

しかしパラケルススはこの事例をあげながらも、それは良くあることではなく例外的なことだと言っています。

 

 

精霊は人間に災厄をもたらすことはない

パラケルススは、精霊=妖精たちが人間に悪を働き災厄をもたらすという考えには、強く反対しました。精霊とは悪魔の手先ではなく、魔女でもないのです。そして人間に何の害悪を加えるものではないとしています。

ですから、シュタウフェンベルクの男の例はあくまでも例外で、このように精霊が人間に何らかの働きかけをするのは滅多にないことだと、パラケルススは考えていました。

精霊の最後で夫に罵られたことから水の中に戻らざるを得なくなり、再婚しようとする夫の命を奪う物語は、水の精霊の本質を描くものではなかったのでしょう。しかしウンディーネにこのような悲恋がつきまとうのも、またもうひとつの側面かも知れません。

というのもウンディーネや精霊たちには本来「魂(ゼーレ)」、今で言うところの「自我」がなく、人間の男性と結ばれて初めて魂=自我を得ることが出来るのです。しかしそのかりそめの魂は、思わぬことから失われてしまう儚いもので、そこが人間とは異なる精霊という存在でもあるのです。

 

 

けなげで哀しい戯曲「オンディーヌ」の結末

20世紀になって、フーケの小説「ウンディーネ」をもとにフランスの戯曲家ジャン・ジロドゥが書いた戯曲「オンディーヌ」は、後にはブロードウェイ・ミュージカルになりました。

この戯曲では、騎士のハンス(小説ではフルトブラント)の裏切りを知ったオンディーヌ(小説ではウンディーヌ)は、夫をかばって自分が先に夫を裏切ったように見せかけて自ら姿を消します。そして精霊の世界でオンディーヌとハンスは裁かれることになりますが、ここでもオンディーヌは自分こそが裏切り者だと主張しますが、裁判の過程でオンディーヌの心にあるのはハンスへの愛情だけだということが明らかになるのです。

ハンスもまたオンディーヌへの愛を自覚し再び愛し合おうとしますが、水の精霊を愛するには人間の魂の器を超え、ハンスは気が狂ってやがて死んでしまいます。水の精霊の世界の王は、オンディーヌから人間界でのすべての記憶を消し去り、彼女はもとの無邪気な水の精霊に戻って水の中に帰って行くのです。

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