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吸血鬼事件(1)魔人となってしまった貴族

吸血鬼

ヨーロッパの歴史を良くご存知の方でしたら言わずもがななのですが、一般的に西ローマ帝国が滅亡し、ゲルマン民族の大移動がグレート・ブリテン島(イギリス)まで到達する5世紀から、東ローマ帝国の滅亡とルネサンスが始まる以前の15世紀までが中世とされています。

また近年では、ルネサンスや宗教改革、大航海の時代以降から18世紀後半〜19世紀初頭の市民革命や産業革命の前の時代までを近世と区分するようになっています。

つまり日本で言うと、応仁の乱(1467年)から始まる戦国時代の頃がヨーロッパの近世の始まりで、鉄砲の伝来や宣教師など南蛮人の来訪は、まさに近世初頭のヨーロッパと日本とをつなぐ出来事だったわけです。

この、日本では室町・戦国時代から江戸時代にかけての頃、ヨーロッパでは様々な吸血鬼事件が起きたのでした。日本の妖怪関係を探った私の別の記事で、江戸時代には妖怪の大ブームが起きたとご紹介したことがありますが、世界の反対側でも吸血鬼が暗躍し始めたのでしょうか。

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ジャンヌ・ダルクの盟友から魔人へ

15世紀のフランス貴族にジル・ド・レエという人がいました。彼はブルターニュ地方ナントに領地を持つ男爵で、成長して軍人になるとフランス宮廷に入ります。

ときは、フランスの王位継承を巡るフランスとイギリスの「百年戦争」の時代であり、1429年の有名な「オルレアン包囲戦」ではオルレアンの乙女と呼ばれたジャンヌ・ダルクを助け、その後の「パテーの戦い」にも参加して勝利し戦争の終結に貢献します。

初めはジャンヌ・ダルクを監視する役目であったと言われていますが、戦いを通じてジャンヌに感化され協力する間柄となり、「パリ包囲戦」を最後に別れたあと領地に戻ってからも、1430年にジャンヌが捕縛されイングランドに引き渡されると兵を率いて救出を試みました。しかしジャンヌは、捕らえられていたイングランド統治下のルーアンで異端審問裁判にかけられ、ついには火炙りの刑に処されてしまいます。

聖女ジャンヌ・ダルクの火炙りが大きく影響したのでしょうか、その後ジル・ド・レエは「錬金術」の魔力に取り憑かれ、自称錬金術師たちとの関わりのなかで「黒魔術」にも関心を持つようになってしまいます。

 

 

黒魔術によって少年たちを虐殺した英雄

そして、錬金術と黒魔術にのめり込んだジル・ド・レエは、何百人もの幼い少年たちを拉致監禁して陵辱と虐殺を行っていきました。

1440年に所領を巡る争いから聖職者を拉致監禁して告発され、彼は捕らえられます。一説には監禁していた少年が逃げ出し、それによって罪が明らかになったとも言われます。
逮捕されたジル・ド・レエは宗教裁判所によって公開裁判にかけられますが、泣いて懺悔し許しを請うたために火炙りの刑から絞首刑になり、処刑されたあとに火炙りにされたそうです。

直接的には吸血鬼とはされていませんが、聖女ジャンヌ・ダルクの盟友であり、百年戦争終結に貢献して元帥に列せられたジル・ド・レエが、黒魔術に関わって多くの少年の血にまみれ処刑された事件は、フランス社会を震撼させたことでしょう。17世紀にペローの童話に載せられた「青ひげ」というお話は、このジル・ド・レエがモデルだと言われています。

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