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草薙剣盗難事件。日本で最も神聖な剣が盗まれたいきさつとは?

刀剣伝説

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)と共に東国の征討を果たした神の剣「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、日本武尊が亡くなったあと、尾張国の妻の宮簀媛(みやずひめ)によって創建された「熱田神宮」の祭神として奉納されました。熱田神宮は景行天皇43年の創建とされていますから、西暦に換算すると紀元113年。つまりそれ以来、1900年以上も草薙剣は熱田神宮のご神体として、社殿の奥深くに祀られていることになります。

 
以来、草薙剣の実物を触ることはおろか、見たことのある人もほとんどいないと言われています。しかしなんと、この神の剣が盗難に遭うという事件が歴史上ただ一度、発生したのです。

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僧侶に盗み出された草薙剣のゆくえ

草薙剣は、現在は熱田神宮正殿の本宮にあると言われていますが、古くは「土用殿」と呼ばれる小ぶりの宝庫に納められていました。おそらくは長く、この土用殿にあったのだと思われます。

 
さて事件が起こったのは、天智天皇7年(668年)のこと。この出来事を記す日本書紀によると、道行(どうぎょう)という沙門(僧侶)が草薙剣を盗み出し、朝鮮半島の新羅に向かって逃げたのだそうです。しかしその道中で暴風雨に遭い、道行は道に迷って帰って来たのだと言います。

 
その後の経緯についての記述は、日本書紀にはありません。事件が起こった18年後の朱鳥元年(686年)に、天武天皇が病気になり占いでこれは草薙剣の祟りだとされ、熱田神宮に送り届けたという記述があります。ということは、取り返された草薙剣はしばらく天皇のもとにあったということになります。

 
ちなみに熱田神宮のホームページに載っている歴史では、朱鳥元年(686年)に「草薙神剣が神宮還座」と記されていて、このときに剣が戻ったとしています。

 

 

草薙剣盗難事件の真相とその後

「尾張国熱田神宮縁起」という鎌倉時代初期に成立した文献には、この事件に関するもう少し詳しい説話が記述されています。それによると道行は新羅の僧で、草薙剣を盗み出し袈裟に包んで故国に渡ろうとするのですが、伊勢国で剣はひとりでに抜け出して熱田神宮に還ってしまいます。

 
道行は再び盗み出すのですが、摂津国(大阪府・兵庫県)から船に乗ると船は難破し、難波の津に漂着します。このとき「私は神剣だが、妖僧に欺かれ七条の袈裟に包まれたが抜け出て社に還った。今度は九条の袈裟に包まれたので、還ることができない」という神託がありました。

 
七条・九条というのは袈裟の布の幅のことです。道行は畏れて、草薙剣を投げ捨てて逃げようとしますが、剣は道行の身体から離れず、ついには自首したということです。

 
愛知県知多市の「薬王山法海寺」の縁起には、この道行は実は元は新羅の皇子であり、捕まって幽閉されたあと改心し、この地で修行を重ね霊感を得て天皇のために祈り、病気を平癒させたために勅願寺を賜ったという後日談が記されています。

 
また、道行が捕まり草薙剣が無事に確保されたあと18年間も留め置かれ、どうしてすぐに熱田神宮に還されなかったのかは、良くわかりません。このことから道行が盗み出したのは熱田神宮ではなく朝廷からという説もありますが、真実は不明です。

 
神話や伝説に従えば、そもそも天皇の宮にあった草薙剣が伊勢神宮から日本武尊の手に、そして熱田神宮へと移って行ったのには理由がありました。宮中では天照大神(あまてらすおおみかみ)と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)の二柱の神を祀っていたところ、崇神天皇が二神の神威の強さを畏れて、天照大神の宿る草薙剣を天皇の宮の外で祀るようにしたということですから、再び朝廷に18年も留め置いたのは良くなかったということでしょうか。

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