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布都御魂を祀る2つ神社、石上神宮と鹿島神宮(2)

刀剣伝説

 

茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮(かしまじんぐう)」は武道や兵法(剣術・剣道)の神様、軍神の社として長く信仰されてきた神宮です。ご祭神は雷と刀剣の神である「建御雷神(たけみかづちのかみ)」。また、建御雷神と一心同体とされる「布都御魂(ふつみたま)」の名の直刀があり、国宝に指定されています。
布都御魂はご神体として奈良県天理市の石上神宮にある筈なのに、どうして鹿島神宮にもあるのか?今回はその鹿島神宮と布都御魂について、ご紹介することにしましょう。

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古代から建御雷神を祀る鹿島神宮

鹿島神宮の創建は社伝では神武天皇の即位の年、神武元年(紀元前660年?)とされています。神武天皇が東征で苦難に見舞われた際に建御雷神から布都御魂を下され、大和平定後に天皇に即位した年に、この鹿島の地に建御雷神をお祀りしたのが始まりと伝えられているそうです。

 
また「常陸国風土記」によると、「香島天之大神(かしまあめのおおかみ)」が高天原より香島の宮(鹿島神宮)に下ったとされ、第10代崇神天皇の時代には大坂山というところに鹿島大神が現れて中臣神聞勝命に神託があり、天皇は大刀や八咫鏡などの神宝類を献じたのだそうです。この神宝を奉じたのが中臣神聞勝命で、後に藤原氏の祖となる中臣鎌足はこの鹿島中臣氏(鹿島神宮の大宮司家)の出身であるという説もあります。

 
また崇神天皇の時代と言えば、宮中に祀られていた布都御魂が石上神宮の地に遷されたのと同じ時代。石上神宮は物部氏で鹿島神宮は中臣氏=藤原氏と、古代の勢力争いも匂わせる伝承です。

 

 

鹿島神宮の布都御魂は二代目だった

それでは布都御魂は、どうして鹿島神宮にもあるのでしょうか?実はこの布都御魂は本物の建御雷神のものではなく、後から作刀されたものなのです。
伝承によると、布都御魂が天皇の宮中から石上神宮の地に遷され祀られてしまったために、鹿島の地に祀られている建御雷神のもとには二度と還されることがなくなってしまった。

 
そのためこの地で二代目の布都御魂を作り、鹿島神宮に奉安したのだと言います。常陸国風土記には、慶雲元年(704年)に鹿島の砂鉄で布都御魂を作ったという記述がありますから、これが現在遺っている布都御魂であるなら二代目とは言え1300年以上も前のとても古いものになります。現在、鹿島神宮で公開されている国宝の布都御魂は、刀身が7尺3寸8分(2.25m)もある長大な直刀で、現存する最古最大の日本刀であるとされています。

 

 

剣術・剣道へと受け継がれた布都御魂の神術

鹿島神宮と言えば、剣術・剣術の元となった兵法が伝わる地としても著名です。鹿島の剣は、仁徳天皇の時代(4世紀頃?)に国摩真人(くになつまひと)という人が、建御雷神の布都御魂の神術を後世に伝えようと鹿島神宮の境内で祭壇を築いて日夜祈祷し、神妙剣という極意を得たのが始まりとされています。

 
戦国時代に新当流をひらき剣聖と謳われた塚原卜伝(つかはらぼくでん)は、代々鹿島の剣を伝えた吉川家の次男でした。卜伝は鹿島神宮に千日参詣し、最後の日に秘術である「一の太刀」を会得したと言います。この塚原卜伝の「一の太刀」こそが建御雷神の布都御魂の神術であったとされており、布都御魂の正しい流れを継ぐ剣であるとも言われているのです。このように布都御魂は、鹿島神宮では祀られる祭器としてよりも戦う神の魂として伝えられて行ったのかも知れません。

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