> >

高松塚古墳から消えた南の朱雀。キトラ古墳の朱雀との関係は?

朱雀

日本で風水ブームが起こり始めた1990年代よりも20年ほど前の1972年3月、奈良県明日香村の「高松塚古墳」を発掘調査していた奈良県立橿原考古学研究所の発掘チームが、古墳の石室のなかに極彩色に彩られた壁画を発見しました。

当時は考古学上の大発見として世間を賑わせたのですが、このときに見つかった壁画は石室内の東・西・北壁と天井に描かれており、その絵とは人物像と天体の日月及び星唇(星座)そして四神でした。四神とは中国大陸で古代から伝わる、東西南北の4つの方位を司るという神獣のこと。東は「青龍」、西は「白虎」、北は「玄武(蛇が絡みついた亀のこと)」で南は神鳥である「朱雀(すざく)」です。高松塚古墳の石室の東西北にはそれぞれの方位の神獣が描かれていたのですが、実は南には朱雀がいませんでした。

スポンサードリンク

 

高松塚の朱雀はどこに行ったのか??

高松塚古墳の発見当時は、まだ風水ブームが起きる前ということもあってか、歴史の教科書でも紹介される女人群像は一般にも良く知られていましたが、四神の存在についてはそれほど大きく注目されてはいなかったように思います。

しかし、朱雀を除く3体の神獣の姿は発見当時、日本で見られる最古の四神の姿であり大変に貴重なものだったのです。
それでは、南側の壁に描かれているはずのもうひとつの神獣である朱雀は、どこに行ってしまったのか?

実は石室の南側の壁画は、鎌倉時代とも言われる盗掘によって開けられた穴から流れ込んだ泥水で破壊されてしまったと考えられています。しかし盗掘されていたにも関わらず、海獣葡萄鏡という白銅鏡や太刀の飾り金具、ガラスや琥珀などの玉類、漆を塗った後に金箔で覆った木棺の残片などが見つかっています。

これらは盗掘を免れたものと考えられていますが、そもそもこの高松塚古墳の被葬者がいまだにわからず、また人骨は遺されていたものの頭蓋骨が取り除かれている、壁画の日象・月象や玄武の亀と蛇の頭が傷つけられているなど、あとから怨霊の復活を防ごうとしたのではないかという説もあり、盗掘自体にも謎が多いのです。もしかしたら朱雀が失われたことにも、何か意味があったのでしょうか。

 

極彩色の朱雀、現れる!!

高松塚古墳の壁画発見から1983年1110年ほど経った月、同じく奈良県明日香村にある「キトラ古墳」の石室内から、四神のうちの玄武の壁画が石室内に差し込んだファイバースコープの映像調査で発見されました。やがて15年後の1998年に行われた小型カメラでの調査では、天井の星唇(星座)や東壁の青龍、西壁の白虎が発見され、さらに2001年のデジタルカメラでの再調査では、ついに南壁に高松塚古墳では失われた朱雀が発見されたのです。

キトラ古墳の四神の壁画は、高松塚古墳と同じ作者により描かれたと考えられています。しかしその絵は高松塚古墳のものよりも優れているともされ、特にこの朱雀は東アジアを通して最も芸術性の高い朱雀であると言われるほどのものでした。

 

私たちの身近な場所に潜む四神の謎

キトラ古墳は、高松塚古墳から直線距離でわずか1.22kmしか離れていません。古墳が造られたのも7世紀末から8世紀初めの藤原京の時代と考えられ、2つの古墳は兄弟墳とも言われています。キトラ古墳の被葬者もわかっていませんが、高松塚古墳と同時代の同じく身分の高い人物であったことは確かです。

このキトラ古墳も後代に盗掘され、やはり南側から盗掘穴が開けられていました。その盗掘穴からファイバースコープを差し込んで壁画が発見されたわけですが、高松塚古墳と違ってなぜ朱雀の壁画があったかについては、穴が西側に偏っていたからだとされています。しかし、キトラに朱雀が存在していて高松塚には存在しないのは、意図して破壊されたか或いはもともと描かれていなかったのではと考える人もいるようです。

高松塚古墳とキトラ古墳にはこのようにまだまだ謎が多いのですが、封印された墓の石室内に描かれ、もしかしたら永遠に誰の目にも触れることはなかったかも知れない古代日本の四神、そして朱雀の姿を現代のわたしたちに見せてくれる貴重な存在なのです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.