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国譲りを成し遂げた刀剣の神が持つ剣「布都御魂」(2)

刀剣伝説

 

「出雲の国譲り神話」で高天原から最後に派遣された雷と刀剣の神、「建御雷神(たけみかづちのかみ)」の持つ「布都御魂(ふつのみたま)」は、神話のなかでどのように登場するのでしょうか。
それは、とても不思議な情景として描かれているのです。

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タケミカヅチとその剣の登場シーンとは

古事記によると、天照大神と高天原の神々から地上に派遣された建御雷神とこれに添えられた天鳥船神(あめのとりふねのかみ)は、出雲国の伊那佐(いざさ)の小浜(現在の出雲市大社町の稲佐の浜)に降り立ちます。

 
そのときの姿はなんと、十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに波頭に突き立て、その剣先にあぐらをかいて座り、大国主神と国譲りの交渉を行うのです。つまり、浜に寄せる波の中に持ち手である剣の柄(つか)の方を突き刺して剣を真っ直ぐに立て、刃の先端に座っているということなのです。

 
この情景は、日本の神話のなかでもトップを争う不思議なシーンかも知れません。この情景の解釈としては、刀剣の神である建御雷神が剣と一心同体となっているということ、また波の中に突き立たせた剣が、建御雷神という神の依代(よりしろ)、つまり神霊が宿る聖なる剣であることを表現しているのだとされています。

 

 

タケミカヅチの十握剣とは何なのか?

もうひとつ気になることがあります。それは、このときの建御雷神の剣が十握剣と記されていること。十握剣という名称が、「手で握る部分の柄が十握り分(4本の指で10人分)もある、とても長い剣の意味」であることから、ここではどのような剣なのかを表すためにこう記されているのだと思われます。

 
何より建御雷神の父が天之尾羽張神(あめのおはばりのかみ)であり、この天之尾羽張神は伊邪那美命(いざなみのみこと)の持つ刀剣の祖・天十握剣のことですから、言ってみれば建御雷神と一心同体である十握剣とは、伊邪那美命の天十握剣の息子にあたる剣であるということになるでしょうか。
それではこの建御雷神と一心同体の十握剣が、布都御魂という剣なのでしょうか?

 

 

地上に降ろされたタケミカヅチの布都御魂

その答えは、神話の物語がずっと進んだ「神武天皇の東征神話」のなかにあります。
建御雷神が国譲りを成し遂げた後、地上を治めるために天照大神の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から下ります(天孫降臨神話)。そして、その曾孫である神武天皇が大和を征服する物語が東征神話です。

 
浪速から大和国に向かおうとする神武天皇を待ち受けていたのは、長髄彦(ながすねひこ)の軍勢です。神武天皇はこの軍勢との戦いに敗れ、紀伊国へと回り熊野を通って大和を目指します。

 
この熊野山中でも危機に見舞われているとき、熊野に住む高倉下(たかくらじ)という者の夢に天照大神が現れ、同じく現れた建御雷神に「お前が行って平定しなさい」と言います。しかし建御雷神は「私が行くまでもないので、この国を平定した剣を差し向けましょう」と言い、高倉下にむかって「私の剣の名は布都御魂という。その剣をあなたの倉の中に置くから、それを神武天皇に献上しなさい」と告げます。

 
夢のお告げに翌朝、倉に行ってみると確かに倉の底板に剣が刺さっており、高倉下はこれを神武天皇に献上します。すると、熊野の神によって毒気に当たって眠っていた神武天皇とその軍勢は、この剣の霊験によってにわかに目覚めたということです。
建御雷神は国譲りを成し遂げた剣の名が布都御魂であることを明かし、その剣を地上の天照大神の子孫に渡したのでした。

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