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安倍晴明が編纂したと伝承されている簠簋集(ほきしゅう)とは

安倍晴明

安倍晴明の伝説や謎を探るうえで、どうしても忘れてはならない書物があります。それは「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでんいんようかんかつほきないでんきんうんぎょくとしゅう)」という、まるで呪文のような大変に長い名称の書物で、通常は「簠簋集(ほきしゅう)」と略称されています。
この書物は安倍晴明が編纂したものと伝承されていて、陰陽道の縁起や占いの解説が記されたものでした。ちなみに書名の「簠簋」とは、古代中国で神祀りの際に用いられた祭器のこと。また「金烏玉兎」とは、太陽に棲むと言われる霊鳥・金烏と月に棲むという霊獣・玉兎のことだそうで、それぞれ陰と陽、日と月を表します。

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世界の秘密を解く秘伝書??

この「簠簋集」の注釈書として江戸時代に成立したのが「簠簋抄(ほきしょう)」で、安倍晴明が白狐「信太の葛の葉」を母として人間との間に生まれたとする伝説のもとになっているのが、この「簠簋抄」に書かれた晴明伝なのです。

 
さて、実際に「簠簋集(ほきしゅう)」が誰によって書かれたのかは実は不明で、晴明の子孫の祇園社の祠官(神官)であるとか晴明とは関係のない真言宗の僧侶だといった説もありますが、本当のところはわかっていません。おそらくは、鎌倉時代末期(14世紀)から15世紀の室町時代初期にまとめられたのではないかとされています。しかしこの「簠簋集」は、ほかの陰陽道の書物の何よりも重視され、広く流布されたものなのだそうです。

 
なぜなら後世にはこの「簠簋集」が、世界の秘密を解く秘伝書であると伝えられたからで、その秘伝の中心となるのは「牛頭天王(ごずてんのう)」という日本における神仏習合の神様でした。

 

 

牛頭天王と方位・吉凶の神々

牛頭天王は日本神話のスサノオの本地(本来の姿)で、薬師如来の垂迹(仏が現した姿)であるとされました。牛の頭を持ちツノが生えた異様で恐ろしげな姿であり、誰も近寄ろうとしなかったといいますが、中世の日本では疫病を広め、また疫病を防ぐ神として広く信仰を集めました。

 
牛頭天王の伝説では、この恐ろしい姿からなかなか后を娶れなかったのですが、南海の龍王の娘の「頗梨采女(はりさいじょ)」が后に相応しいと聞き、妻を求めて旅に出ます。途中「巨丹将来(こたんしょうらい)」という長者に宿を願いますが追い返され、「蘇民将来(そみんしょうらい)」という貧者に乞うと手厚くもてなされました。その後、龍王の娘を妻とした牛頭天王は、巨丹将来の一族を滅ぼし、蘇民将来の一族子孫に安寧をもたらしたといいます。

 
「簠簋集」の第一巻にはこの牛頭天王の縁起が記述されていて、さらには暦道において何事も吉とする神様である「天道神」こそがこの牛頭天王であり、同じく吉方の「歳徳神(としとくじん)」が牛頭天王の妻の頗梨采女、「天徳神」が蘇民将来としています。またすべてにおいて凶となる「金神(こんじん)」は牛頭天王が滅ぼした巨丹将来で、そのほか牛頭天王の8人の息子たちも「八将神」という方位の神様としました。

 

 

安倍晴明の陰陽道は庶民の信仰に浸透して行った

牛頭天王や蘇民将来伝説、あるいは凶をもたらす金神などは現代の人々にはピンと来ないかも知れませんが、中世や江戸時代にはとてもメジャーな民間信仰の神様でした。

 
例えば「蘇民将来子孫」と書かれた護符を住居の門口に貼っておくと、牛頭天王(スサノオ)に護られて災いが防がれ福を招くという信仰は現代でもわずかに続いています。また牛頭天王が巨丹将来を滅ぼす際に、巨丹将来の妻となっていた蘇民将来の娘にだけ目印として「茅の輪」を付けさせて助けたことから、現在でも多くの神社では6月の「夏越の祓(なごしのはらえ)」のときに、年の前半の穢れを落とし後半の無事を過ごす願いから「茅の輪くぐり」が行われていて、みなさんも一度はやったことがあるかのではないでしょうか。

 
このように吉凶を占い、穢れを祓って吉を願う民間信仰は現代にもつながっていますが、それらと陰陽道は結びついているのです。安倍晴明が歴史上に現れたことにより、晴明から始まる陰陽道の安倍家=土御門家は後世には全国の陰陽師を束ねる宗家となりますが、それによって庶民にも占いや民間信仰が大きく広がって行ったと言えるかも知れません。

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