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怖い霊はいつから登場したのか??陰陽師と怨霊の関係とは?

霊感

「霊感」というと、一般的には「霊」や「霊的なもの」を感じることのできる感覚、チカラということになります。それもだいたいは、怖い霊がここにはいるのでは?といったことが多いのではないでしょうか。

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怖い霊とは何なのでしょう

古代のわたしたち日本人には、人間はもちろんあらゆる動物や自然、道具などには霊魂が宿っていて八百万の神と繋がっている、という考え方がありました。時には「荒魂(あらたま)」として人間に災いをもたらしたとしても、基本的にそれらの霊や霊魂は善いもので、祖先の霊は集まって私たちを護ってくれます。
しかし、そういった古代の日本人と霊や霊魂との関係性も、奈良時代から平安時代へと時代が下ると少し変わって来たのです。

 

怖い霊、怨霊が現れる

「怨霊」というのは、文字通り怨みを持った霊のことです。だいたいは、生きている間に理不尽な仕打ちを受けて恨みを抱いたまま亡くなり、死んでからも祟りをもたらすとされています。

 
また、戦争や事故、自殺などで亡くなった場合は、生きている肉体が突如滅んで霊魂の行き場がなくなり「浮遊霊」として彷徨い、時には災いをもたらすと考えられました。
このような怨霊や浮遊霊がとても多く現れ怖れられたのは、じつは平安時代になってからなのです。その前の奈良時代末期にも乱を起こして討伐された藤原広嗣や、長岡京遷都にまつわる政争で藤原種継の暗殺事件に関わったとして無実の罪で憤死した早良親王など、恨みを抱いて祟りをもたらす怨霊が現れていました。

 
平安時代になると、政争に敗れ九州の太宰府に流されて没した菅原道真、東国で叛乱を起こして討伐され京の都で晒された首が空を飛んで関東に戻ったという平将門、保元の乱で敗れ罪人として讃岐国に流されて京の都への強い想いを抱きながら亡くなった崇徳上皇など、多くの著名な人たちが怨霊になったと考えられました。
こういった強大な名のある怨霊だけでなく、平安時代の特に京の都では有名無名の多くの怨霊が現れ人々に怖れられたのです。

 

怨霊を鎮める御霊信仰と陰陽師

このような、恨みを持って生きている人々に災いをもたらす怨霊を、それではどうすれば良いのでしょうか。平安時代の朝廷や人々は、これら怨霊に諡号(死後に奉る名前)や官位を贈り、「御霊会(ごりょうえ)」という鎮魂の儀式を行い、災いをもたらす怨霊から鎮護の神として祀ることで怨霊を鎮めました。これを「御霊信仰」といいます。

 
この御霊会や御霊信仰で活躍したのが安倍晴明で有名な陰陽師で、怖い霊と相対し怨霊を鎮める役割を担っていました。怨霊が現れたために陰陽師の権威が高くなった、と言っても良いかと思います。

 
もしかしたら、怨霊など生きている人間に災いをもたらすような怖い霊を見つけ出し、それを鎮める陰陽師の能力が、現代に言われる霊感に繋がっているとも言えるのではないでしょうか。

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