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念写は本当にトリック?福来心理学研究所が存在する理由

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明治末期に東大教授の福来友吉博士によって命名された「念写」という概念は、テレパシーや透視、瞬間移動など他の超能力と同様に、ややもすると「オカルト的なもの」、「インチキ臭い、胡散臭いもの」といった捕らえ方がなされることも少なくありません。

しかし、東大助教授という博識や頭脳を持つ福来博士は、どうやら表面的な部分だけで「念写という現象」を捉えていた訳ではなく、もっと深遠な(ある意味宗教的な)「人間の能力の存在」についての研究をもおこなっていたようです。

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福来心理学研究所

念写の発見と前後して、福来博士主導で実施・公開された「透視実験」や「念写実験」の結果、当時の肩書きである東大助教授としての立場を追われ、学会からの追放などを経て、博士は自身による独自の研究施設を立ち上げています。1928年に設立した「財団法人大日本心霊研究所」が該当し、現在も「財団法人福来心理学研究所」として存続しています。

また近年になって(1983年)、念写を学術的に説明したという六次元論を唱えた山本建造という人物主導で、福来博士の出身地である岐阜県高山市(「飛騨の高山」として知られている場所です)にも、「財団法人飛騨福来心理学研究所」が設立されています。

これらの施設は、一見していわゆる「超心理学」または「宗教的な存在」と捉えられがちですが、その理由を考察してみましょう。

 

レッテル貼りからバッシングの対象へ

迷信や思い込み、宗教的な「祈り」など、およそ科学的な仮説検証の世界から離れれば離れるほど、人は「オカルトや宗教」といったレッテルを貼りがちであり、現在でも散見されているとおり、「科学的に証明できないものは、オカルトや宗教的なものとして、バッシングの対象となりやすい」、といえます。

福来博士が1910~20年にかけておこなっていた念写実験も、同様の理由で(被験者もろとも)バッシングに遭い、博士は東大や学会を追放され、被験者は自殺を遂げる、といったことがおこってしまっています。

結局世間的には、念写はトリックやイカサマとして処理され、未だ科学的な裏付けや学術的検証がおこなわれないまま現在に至っていますが、逆に言えば、「事実として念写が存在していた可能性がゼロではないにもかかわらず、現在判明している科学的な枠組みでは説明しきれないがために、インチキ扱いで完結している」とも考えられます。

このような「科学的検証ができないが、可能性を捨てきれない人間の可能性」を、単にオカルトや宗教で終わらせることなく、アプローチを続けているのが、先に述べた心理学研究所である、と考えられます。

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カテゴリ: その他

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