> >

魔術と錬金術の融合?伝説の薔薇十字団の存在とは

80d8ab34224183b3d528559e08d4e842_s
 
魔術と錬金術の類似性は、「たがいにオカルティックで不透明な部分を持ち合わせている」というところに集約できます。

しかし世にいう「胡散臭さ」の正体が、その時点で共有されている常識(それすら人々が実際に自分自身で確認したものではなく、あくまでも見聞や学習による「知識」)である以上、中世ヨーロッパにおける薔薇十字団とクリスチャン・ローゼンクロイツが現代では考えられないほどの支持を得ていたこと、ひいては魔術や錬金術そのものが現代よりもはるかに信ぴょう性をもった事象として捉えられていたことは、一定の納得性がある結果である、といえそうです。

かくしてこの団体に触れた『化学の結婚』発表のわずか2年後、ドイツで宗教戦争(通称三十年戦争)が勃発しています。

スポンサードリンク


 

三十年戦争の背景に存在した錬金術思想

1616年、薔薇十字団の中心人物とされるクリスチャン・ローゼンクロイツの思想と生涯を描いた『化学の結婚』がヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエによって著されました。この著書により、当時のヨーロッパの人々は、錬金術の科学的な側面と、古くから存在していた魔術の呪術的思想的な側面の両方を支持し、この従来になかった錬金術という概念を背景に、1618年、ドイツでキリスト教新旧両派が激突するという「ベーメンの反乱」が勃発しています。

その後対立は長期化し、三十年戦争(1618~1648年)と呼ばれるほど泥沼化します。この期間、ドイツのみならず、西ヨーロッパ諸国や周辺のキリスト教新教国、旧教国の介入を呼び込み、もはや国際紛争とも呼べる規模の戦争となっていったのです。ちなみに当時の日本の元号は元和で、有名な慶長の後、寛永の前にあたり、江戸幕府が敷かれていた時代です。

 

錬金術と魔術の融合

三十年戦争最中の1623年には、1610年頃にヨーロッパ全土で出回った怪文書に続き、フランス国内でも薔薇十字団に関する怪文書が出回り(パリの街中に、難解で意味不明の宗教的な貼り紙が一夜のうちになされましたが、事の真相は判明しないまま現在に至っています)、薔薇十字団が広範囲かつ組織的な規模の団体であることを示した格好となりました。

この時期の薔薇十字団の活動は、結果的に錬金術と魔術の融合を進め、こんにちの両者の印象の源泉になった、と考えられます。

その後薔薇十字団は伝説化し、錬金術を語るうえで必ず登場するという怪人サンジェルマン伯爵の伝説に繋がっていきます。

サンジェルマン伯爵の伝説の例としては、「100年以上目撃証言があったこと」や、「どの目撃証言も、40歳前後という同一の年齢で伝えられていること」などがあげられます。錬金術は不老不死を標榜していたため、彼はまさにその象徴として名高いのです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.