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イブン・バットゥータの大旅行記に見るアレクサンドリアの大灯台

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現在のエジプトはナイル川の河口にあったとされる、アレクサンドリアの大灯台は、紀元前3世紀頃に建造された後、地中海地域を襲った地震の影響で崩壊しました。その後1480年頃にはマムルーク朝のアシュラフ・カーイトバーイの手によるカーイト・ベイの要塞の資材として流用されて完全にその姿を消してしまったのですが、地震後消滅するまでの様子は有名な旅行家が著した旅行記に記録されています。日本でも有名なマルコ・ポーロの『東方見聞録』が世に出てからおよそ50年後、マリーン朝(12世紀頃から15世紀頃に、モロッコ地域に存在していたイスラム国家)のベルベル人であった旅行家イブン・バットゥータが著した旅行記に、その様子が記されています。

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大旅行記と名づけられた著書

イブン・バットゥータが著した旅行記は、その名を『大旅行記』や『三大陸周遊記』といいます(『都市の不思議と旅の驚異を見る者への贈り物』との訳がなされる場合もあります)。後年19世紀には、ヨーロッパでも広く翻訳されて広まったこの著書は、14世紀に著されたものなのですが、専門家による分析の結果、歴史的価値が非常に高いものである、と評価されています。

 

エジプトをはじめ多岐にわたる旅路

旅行記には、当時としては驚くほど世界中の広範囲への旅程が記されています。エジプトを皮切りに、シリアのダマスカスを経てメッカを訪れ、イラクやイラン、アラビア半島、世界の七不思議を提唱したフィロンが住んだというビザンチウムの首都コンスタンティノープル、キプチャク・ハン国、トゥグルク朝デリーといった東南アジアから、遠く中国の泉州や大都、サハラ砂漠にまで足を伸ばした、とされています。現代の国に置き換えると、訪問国はおよそ50カ国にのぼります(いくつかの土地については、実際には訪れていないのではないか、といった考証も存在します)。

 

2度にわたる大灯台跡への訪問

イブン・バットゥータが、アレクサンドリアの大灯台を訪れた際には、既に1303年頃に起こった地震によって半壊していていたようです。記録によると、最初に訪れたのは1324年(「ヒジュラ暦725年」)とされ、この時点で「側面の一部はすでに壊れていた」としています。また、旅路の帰路、1349年にも再びこの灯台を訪れているようで、「内部に入ることも、入口に登ることもできないほど、完全に崩壊している」と記しています。25年の歳月で、建物の倒壊がさらに進んだことがうかがえます。

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カテゴリ: その他

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