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聖徳太子の弟、麻呂子皇子(当麻皇子)の鬼退治伝説

パワースポット
 
聖徳太子は飛鳥時代の初めに大陸の進んだ文化や制度を取り入れて、冠位十二階や十七条の憲法を定めるなど日本を中央集権国家へと国のかたちを確立して行った、おそらく現代人にとって最も有名な古代の偉人ではないでしょうか。そして単なる偉人や政治家というだけでなく、キリストのように厩戸(馬小屋)で生まれたとか、10人が同時に話すのを聞き分けたとか、あるいは神馬に乗って空を飛翔したといった、さまざまな伝説が伝わっている謎の多い人物でもあります。

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しかし今回はこの聖徳太子の伝説ではなく、その弟(異母弟)が鬼退治をしたという伝説が伝わっているのをご紹介しましょう。

 

知勇に優れた麻呂子皇子

麻呂子皇子(まろこのみこ)はまたの名を当麻皇子(とうまのみこ)ともいい、聖徳太子と同じく用明天皇の皇子です。母は異なりますが、聖徳太子が第2皇子で麻呂子皇子が第3皇子ですから、すぐ下の弟にあたります。
この麻呂子皇子は、聖徳太子が学問や政治に優れていたのに比べて、どうやら知勇に優れた皇子であったようで、603年には征新羅将軍にも任命されています。

その当時は新羅に朝鮮半島南部にあった任那日本府を攻められ、その救援に新羅征討の軍を送っていました。麻呂子皇子は征新羅将軍であった異母弟の来目皇子(くめのみこ)が病で亡くなった後を継いで将軍になりますが、実際には妻が亡くなったため新羅に赴く途中で引き返し、朝鮮半島に渡ることはありませんでした。

 

白い犬と鬼退治の伝説

聖徳太子や麻呂子皇子の父である用明天皇の時代、丹後の国(今の京都府北部)丹後半島の付け根に位置する大江山(当時は三上山と呼ばれた)に、それぞれが栄胡、足軽、土熊という名前の三人の鬼が棲んでいて、朝廷に逆らい人々を苦しめていたといいます。

この鬼たちの征伐を命じられた麻呂子皇子は、自ら薬師如来像を刻み、加護を祈願して大江山へと向かいました。やがて丹後へと赴く途中、額に鏡をつけた白い犬が現れ、皇子にその鏡を献上すると大江山への道案内を申し出ます。

これぞ神仏の加護と感じた皇子は鬼の棲む岩窟に着くと、栄胡と足軽のふたりの鬼は倒しますが、土熊には逃げられてしまいます。逃げた土熊を皇子は竹野郡の岩窟まで追いつめるのですが、その姿を見つけることができません。そこで白犬から献上された鏡を松の木の枝に掛けたところ、見えなかった土熊の姿が鏡に映ったのでようやく退治できたということです。

大江山といえば、この飛鳥時代から400年ほどあとの平安時代中頃、酒呑童子という鬼退治の舞台となる連山です。この麻呂子皇子の鬼退治伝説が、平安時代の鬼退治に大きな影響を与えたという説がありますが、同時に大江山は金属鉱脈の豊富な鉱山としても知られていて、丹後地方は製鉄も盛んでした。山陰地方のひとつ目鬼もそうですが、古代、大江山という異界の中心にいた鬼の一族と鉄などの金属には大きな関係があるようです。

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