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「デジタルカメラでは念写は不可能」説が広まった理由

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1960~1970年代に、ある意味エンターティメントとしても非常に有力なコンテンツでもあったと思われる超能力ですが、とりわけ注目されていたのが、イギリスのユリゲラー氏による「スプーン曲げ」や、日本の清田益章氏による「念力、念写」等でした。

現在は一般的に、「念写はフィルム式カメラだからできたことであり、デジタルカメラではできない」といわれることが多いようです。これはなぜでしょうか。

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人間の念とデジタル情報の相関性

そもそもフィルムとデジタル情報の違いは何なのか、ということを考えてみると、「人間の能力や目線」というところから両者を眺めてみる限り、物理的にはなんら違いがないことがわかります。なぜならば両者共工業品であり、モノとしての構成要素や製造過程が異なるだけで、超能力を発揮する対象としては、特に区別する必要がないものであるからです。

違いがあるとすれば、消費者のイメージとしての認識、つまり「科学技術としての浸透度の違い=現時点において常識レベルで科学技術が認知されているかどうか」という点です。しかし、現代はデジタルカメラが一般的で、フィルムカメラのほうはむしろ知らない、または使わない世代が多く、それが故に「旧式のフィルムカメラは疑念を生みやすい存在である」、ともいえます。

このように考えていくと、「念写はデジタルカメラではおこなえない」という説は、デジタルカメラの一般性からくる、常識レベルの判断(=人間の念をデジタル情報に焼き付けられるはずがないが、旧式カメラなら可能性としてありうる)が背景にある、と考えられます。

 

超能力者が失速する理由にも通じる?

また、別の視点から「デジタルカメラ念写不可能説」を考えてみると、超能力者の能力発揮についての懸念が浮かび上がります。ある超能力者は、「最初は非常に明確に超能力を発揮することができたが、注目度が高まったり、ギャラリーが多くなったりすることと比例して、能力を発揮できなくなった」と語っています。

このことは総じて超能力界隈でよく聞かれる言説です。このような現象と比例してインチキ説や世論によるバッシングが発生することも多々あり、結果的に「世間のプレッシャーなどによって発揮が困難になった超能力が、実はそもそもなかった」という通説が生まれます。

そして、これに派生して「フィルム式カメラでないと念写はできない(実際に、フィルム式カメラのインチキ情報はネット上にも数多く報告されているが、デジタルカメラのインチキは一般的にはあまり知られていない)」という説が定着するに至った、と思われます。

このことから、「念写はデジタルカメラでもおこなえるのか」、という問いに対する答えは、「超能力が実在するならば、媒体は問わない、つまりデジタルカメラでも念写は可能である」、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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