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浦島太郎のルーツを探る(3)武内宿禰こそが浦島太郎!?

浦島伝説

 

浦島伝説のルーツと思われる「山幸彦と海幸彦」の神話で、山幸彦を「綿津見神(わたつみのかみ/海神)」の宮へ連れて行く「塩椎神(しおつちのかみ)」またの名を「塩土老翁(しおつちのおじ)」いう老人の神様は、海の潮流と航海の神であり、じつは浦島伝説に関係の深い同じく海と航海の神である「住吉大神(住吉三神)」と同一の神様であるという説があります。
そしてさらに、住吉大神が人の姿となったのが「武内宿禰(たけうちすくね)」という古代の伝説の人物であるという説が登場して来ます。

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300年以上も生きた!?武内宿禰

武内宿禰は古事記・日本書紀に登場する、じつに謎に包まれた人物です。第12代景行天皇から第16代仁徳天皇まで5代の天皇に仕えたとされ、蘇我氏をはじめ、紀氏、葛城氏、平群氏など古代の有力豪族の祖でもあるとされています。

 
その年齢は300歳以上であると言われ、例えば「因幡国風土記」の逸書では360歳余りで因幡国(鳥取県)に下向し、行方不明になったと記されています。古事記や日本書紀の神話の世界では天皇はとても長寿で、初代の神武天皇は古事記では137歳、第10代の崇神天皇は168歳まで生きたとされますが、武内宿禰はそれら神話時代の天皇より遥かに長生きなのです。

300歳以上と聞いて思い出すのが、浦島伝説の浦嶋子が常世の国の海神の宮で亀姫と幸せな日々を送った3年の月日が、地上の現世の時間で言うと300年余りという話。浦嶋子が20代で常世の国に行ったとすれば、故郷に戻って老人になってしまったときには320歳以上となります。

 

 

武内宿禰とは誰なのか?

この武内宿禰が、どうして住吉大神と同一とされるのでしょうか。住吉大社に伝わる由来書である「住吉大社神代記」には、神功皇后の伝説として夫の仲哀天皇が香椎宮(福岡市)で急死したとき(暗殺されたという説もある)住吉大神と密事(夫婦の秘め事)を行ったという記述があります。このとき神功皇后とともにいたのが、武内宿禰でした。つまり武内宿禰が住吉大神であり、武内宿禰との密事によって神功皇后が身籠ったのが後の応神天皇になるのではないか、という説です。

 
実際、摂津の住吉大社よりも創建の古い下関の住吉神社には、住吉三神とともに神功皇后と息子の応神天皇、そして夫の仲哀天皇ではなく武内宿禰が祀られています。
また、塩椎神が山幸彦を案内したのは海神の「綿津見神(わたつみのかみ)」の宮ですが、その綿津見神を祖神とする海人に安曇氏という一族がいます。その長は「安曇磯良(あずみいそら)」という人物で、三韓征伐の際に神功皇后の軍船を導くのですが、この安曇磯良も武内宿禰と同一であり、武内宿禰は安曇海人族の統領であったという説もあります。

 

 

浦島太郎とは武内宿禰だったのだろうか

山幸彦を海神の宮に導いた塩椎神は住吉大神、さらに武内宿禰と同じというつながりがありました。そして浦嶋伝説と住吉大神とのつながり。また、300歳以上の老人となった浦嶋子と武内宿禰とのつながりもあります。浦島伝説と神話の世界を巡って、様々なつながりが見えて来ます。

 
それらを考えたとき、浦島太郎のルーツの浦嶋子の更に大もとのルーツは誰なのでしょう。果たして山幸彦なのか、それともその山幸彦を導いた塩椎神=住吉大神=武内宿禰なのでしょうか。あるいは丹後半島の「籠神社(このじんじゃ)」の祭神で、海人の長である海部(あまべ)氏の始祖の「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」なのでしょうか。

 
日本の神話や古代の伝説というのは話が錯綜したり、時間軸が歪んだりと、とても複雑でわかりにくいのですが、浦島伝説が海の神と古代の海人の一族に深く関わる伝説だとすると、すべてが結びついて行く可能性があります。
ただし山幸彦の神話の場合、海神のもとに行ったのが海人である兄の海幸彦ではなく、なぜか山からの収穫を得る山幸彦だったのかという謎は残ります。山幸彦の神話は、古事記・日本書紀という奈良時代にまとめられた天皇家の歴史書に記された物語ですから、海人の一族が主人公とはならなかったということもあり得ます。
とすると、やはり浦島太郎と浦嶋子のルーツは、武内宿禰ということになるのかも知れません。

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