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古代丹後王国の浦島伝説1:日本書記版よりも長い長い物語

浦島伝説

 

誰でも知っている浦島太郎のおとぎ話は、もしかしたら古墳時代かそれ以前のとても古い伝説が下地となったお話です。その日本最古の記述は、「日本書紀」の巻第14の雄略天皇22年と「丹後国風土記」にあります。それぞれ奈良時代にまとめられたものですが、浦島伝説の記述がある日本書紀の雄略天皇22年は機械的に西暦に置き換えると478年となり、奈良時代の前、飛鳥時代の更に前の古墳時代にあたります。
日本書紀の記述はとても短いものですが、丹後国風土記にはもっと長い物語が語られています。それでは、それはどんな伝説だったのでしょうか。

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古代の独立国??丹後王国

丹後国風土記の浦島伝説をご紹介する前に、この風土記の舞台である丹後国を少し見てみましょう。丹後国は現在の京都府の丹後半島とその周辺部ですが、もとは京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部にまたがってあった丹波国の一部で、奈良時代初めの713年に丹波国からその北部が分かれて丹後国になりました。

 
しかしそれ以前からこの丹後地方は独立した地域で、幻の「丹後王国」があったという説もあります。それはここが丹後半島の付け根を流れる竹野川流域を中心に栄え、古くから独自の交易を行い、大陸との関係がとても深かったからだということです。
丹後半島の古墳(大田南5号古墳)からは、「青龍三年」の銘がある鏡が出土されています。中国の青龍三年は西暦235年で、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送った239年の4年前ですから、卑弥呼の時代に大陸と独自の交流があった、あるいは卑弥呼が下賜されたのがこの鏡であるという説もあります。
この古墳の側には、日本海側最大の前方後円墳(神明山古墳)もあり、丹後地方はそこを含む丹波国全体の中心地=丹後王国だったかも知れないのです。現在は交通の便のあまり良くない地域のようにも感じられますが、浦島伝説はこのような場所に伝わっていたのです。

 

 

美しい乙女と常世の国に向かう浦嶋子

それでは丹後国風土記の浦島伝説ですが、じつは丹後国風土記そのものは遺っておらず、逸書(現在は遺っていない書物)として鎌倉時代の「釈日本紀」などの引用でしか知ることはできません。

 
それによると、与謝郡日置の筒川村(現在の伊根町筒川)に、日下部首(くさかべおびと)という一族の先祖である「筒川嶋子(つつかわしまこ)」、またの名を「水江の浦の嶋子」という容姿端麗の若者がいました。“浦の嶋子”の嶋子が名前になります。後世のおとぎ話の主人公は浦島太郎ですが、つまり正しくは浦の島太郎ということになるわけです。

 
この嶋子がある日、大海(日本海)に小舟を浮かべて釣りをしていたのですが、三日三晩で一匹も魚を釣ることができませんでした。あきらめて帰ろうとすると、五色の亀が釣れたのです。嶋子はこの亀を舟に上げ、うとうとしてやがて眠ってしまいます。ふと目が覚めると、舟には亀が姿を変えた美しい乙女がいたのでした。
どこから来たのかを尋ねると、乙女は「ひとりで釣りをしているあなたとお話がしたくて、神仙の国から風や雲に乗ってやって来た」と言うのです。そして乙女は、「永遠にあなたのそばにいたいと思っている」と言い、海の彼方にある常世の国(とこよのくに)に行こうと嶋子を誘います。乙女と嶋子を乗せた舟が常世の国を目指し出発すると、嶋子はすぐに眠ってしまいました。

 
これが伝説の導入部分ですが、亀を助けたお礼に龍宮城に行く浦島太郎の物語とは少々異なっています。さて、亀から姿を変えた美しい乙女と一緒に常世の国に行った浦嶋子には、どんな運命が待っているのでしょうか。

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