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布都御魂を祀る2つ神社、石上神宮と鹿島神宮(1)

柄杓

 

天皇家の三種の神器である「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、ご神体として名古屋市の熱田神宮に祀られていますが、それでは「布都御魂(ふつのみたま)」はどこにあるのでしょうか。実は、布都御魂をご神体として祀る神社が日本の東と西にそれぞれあるのです。

 
ひとつは奈良県天理市の「石上神宮(いそのかみじんぐう)」、そしてもうひとつが茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮(かしまじんぐう)」です。それではどうして東西二ヶ所の神宮に同じ布都御魂がご神体となっているのか?
今回は、石上神宮の布都御魂を中心にご紹介しましょう。

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古代の武器とお宝が集まった神宮

雷と刀剣の神である「建御雷神(たけみかづちのかみ)」から神武天皇に下された布都御魂は、しばらく宮中に祀られていたあと第10代崇神天皇の7年(紀元前90年?)に、物部氏の祖先の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が現在の石上神宮の地に遷して祀りました。

 
石上神宮は、古代の大和政権で有力軍事氏族であった物部氏が祭祀する神社で、日本最古とも言われるとともに、一説には武器庫であったともされています。つまり軍事と武器の総本山というような神宮だったわけですが、主祭神はご神体の布都御魂に宿る神霊である「布都御魂大神(ふつみたまおおかみ)」を筆頭として、物部氏の祖神の「饒速日命(にぎはやひのみこと)」が高天原から地上に下った際に、天照大神から授かったという「十種神宝(とくさのかんだから)」に宿る神霊の「布留御魂大神(ふるのみたまおおみかみ)」、そして須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治した「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)=天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)」に宿る神霊の「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」となっています。

 
同じような名前の神様たちでちょっとわかりにくいのですが、日本三霊剣のうちの2つと十種類の神宝がご神体であり祭神であるわけですから、まさに武器とお宝の集まった神宮ということになるのかも知れません。

 

 

石上神宮は布都御魂をはじめ、武器と神宝の神霊がいる場所だった

実際に布都御魂は宮中から、天十握剣は吉備国の「石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)」から遷され、そのほかにも諸家の宝物が集められていたとされています。
桓武天皇の時代の延暦23年(804年)には、代々の朝廷が神宮に納めていた武器や神宝を山城国葛野郡に移すために延べ15万7千人もの人員が動員され、移動後には倉がひとりでに倒壊し、やがて桓武天皇も病気となり都にいくつもの怪異が起こったのだそうです。

 
そこで石上神宮で巫女に布留御魂大神を呼び出したところ、神懸かりした巫女が一晩怒り狂い、そのため桓武天皇の年齢の数の69人の僧侶に読経させ、神宝はもとに戻したということです。
石上神宮はこのように多くの武器や神宝が集められた、古代有数の武器庫・宝物庫であり、布都御魂を頂点にそれらの神霊のいる場所であったわけです。

 

 

2000年の時を超えて出現した布都御魂

石上神宮にはもともと本殿は無く、拝殿の奥に「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」という禁足地(立ち入ってはいけない場所)があり、そこにご神体が埋められているという伝承が伝えられて来ました。

 
明治7年(1874年)と明治11年(1878年)に社殿を造営するために当時の大宮司が禁足地を発掘した際に、鉄剣や鉄刀、勾玉などが発掘され、明治7年に発掘されたものが布都御魂、明治11年発掘のものが天十握剣=天羽々斬剣として祀られているそうです。
もしもこの鉄刀が本当に布都御魂であるのならば、2000年近い時を超えて神の刀剣が出現したということになるのでしょうか。

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