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座敷わらしは神様?それとも妖怪?(2)神様のチカラを持った童子

座敷わらし

 

座敷わらしは、だいたい5、6歳ぐらいの小さな男の子や女の子の姿をしています。
日本では古代から、「古事記」や「日本書紀」に登場する「少名毘古那(すくなひこな)」という神様をはじめ、不思議なチカラを持った小さな神様や小人伝説が記憶や伝承に遺されてきました。
それではどうして小さな人や子供には、神様のチカラ(神性)が備わっていると考えられてきたのでしょうか。

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不思議なチカラを持った童子

座敷わらしを漢字で書くと「座敷童子」ですから、名前から言えばそのまま“座敷にいる童子”ということです。
この「童子(どうじ)」という存在を日本では、単に子供のことと言う以上に普通の大人(人間)とは少し違う、不思議な力を持った特別な存在として考えてきたようです。
例えば、鬼の代表として伝えられる大江山の「酒呑童子」や「茨木童子」には童子という名前がつけられていて、普通の人間とは違う能力を持った恐れられる存在であることを表しています。

 
また、キリストのように馬小屋で生まれ、生後間もないときから神童であり不思議な能力を持っていたとされる聖徳太子も、童形の姿で描かれることが多いのです。敏達天皇崩御のあとの皇位を巡る争いで、聖徳太子が物部守屋討伐の軍に加わっていたときも、「束髪於額(ひさごはな)」という童子の髪型であったと日本書紀には記されています。

 

 

童子の姿は神性の象徴

日本では古くから子供=童子は、大人の世界の規則に束縛されない存在と見なされてきました。それは単にまだ幼いということ以上に、大人の世界にとらわれない純粋で無邪気な神性を見ていたからだと言われています。
ですから例えば、神様を祀る祭礼には稚児行列のように童子の存在があります。

 
また、平安時代に牛車に付き添って牛の世話をする牛飼童は、大人であっても童形であり、そのほか猿曳(サルまわし)や鵜飼(ウかい)、鷹飼(タカがい)など鳥や動物を自由に操る者も、普通の人とは違う能力を持った「神性を持った存在」として童形でした。

 
平安時代末期に、平清盛が平氏を批判する人の情報を集め密告させた「禿(かぶろ)」は、髪の毛を肩までで切りそろえた禿の頭髪、童形の者たちであり、これは童子という大人の世界の規則の外にある存在に、悪人が誰なのかを指名させたということなのだそうです。
「八瀬童子」という、天皇が亡くなったときに駕輿丁として天皇の柩を担う人々も、天皇の葬礼という日常とは異なる特別な役目を果たすことから、その名のとおり童子とされていました。

 
このように童子というのは、神様もしくは神様に近い能力を持った存在の象徴であり、この点からも座敷わらしが子供の姿であるというのは、神様か神性を持ったものであるということになります。

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