> >

日本の刀剣の祖・天十握剣はどこに行ったのか?

刀剣伝説

 

古代神話の世界、日本の国土と神々を生んだ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の持っていた聖剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」は、神話から歴史の時代へと移って行くなかでどこに行ったのでしょうか。
神話のなかの十握剣には良くわからない謎があり、伊邪那岐命の十握剣とその息子である須佐之男命(すさのおのみこと)の十握剣は同じものなのか?天照大神と伊邪那岐命との「誓約(うけい)」で3人の女神が生まれた十握剣と、八岐大蛇退治でオロチを斬った十握剣は同じものなのか?謎の多いこの剣の系譜や行く末ははっきりとはしないのです。

スポンサードリンク

 

 

スサノオの十握剣はどこにあるのか

八岐大蛇の尾の中にあった「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は天照大神に献上され、天孫降臨神話で三種の神器のひとつとなったあと、古代の英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)の持つ聖剣となり、その後は妻の宮簀媛(みやずひめ)が創建した熱田神宮に奉納されて、現在もそこに納められているとされています。

 
それでは、八岐大蛇の尾を斬ったときに、その天叢雲剣に当たって刃が欠けたとされる十握剣はどうしたのでしょう。日本書紀には一書に言うとして、この剣は「石上(いそのかみ)」にあると記しています。石上とは奈良の「石上神宮(いそのかみじんぐう)のことです。また別の一書に言うでは、この剣は吉備(きび)の神部(神主)のところにあると書かれています。2つの異なった記述があるわけですが、それではこの日本書紀がまとめられた奈良時代から現在に至るまで、本当はどちらにあったのでしょうか。

 

 

十握剣を祀る2つの古い神社

奈良の天理市にある石上神宮は大変に長い歴史のある神社で、伊勢神宮と同じく最も古くから「神宮」という号がついた格式の高い神社です。祭神は布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)という神様で、実は天十握剣、天叢雲剣とともに日本三霊剣とされる「布都御魂(ふつのみたま)」という剣に宿る神霊なのです。また大和政権の軍事を担う氏族であった物部氏が祭祀する社で、その当時の武器庫であったとも言われています。

 
この石上神宮の社伝には、八岐大蛇を斬った十握剣が崇神天皇の時代(紀元前1世紀頃?)に、吉備国の「石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)」から還されたと伝えられているそうです。石上布都魂神社(岡山県赤磐市)とはまさに十握剣を祀ったのが創始と伝えられる神社で、日本書紀の一書に言うで記された「吉備の神部(神主)のところ」はこの神社のこととされています。

 
須佐之男命が八岐大蛇を退治したのは出雲国の肥の河(島根県の斐伊川)で、須佐之男命が地上に降り立った場所は斐伊川の源流がある島根県と鳥取県の境の船通山(せんつうざん)の麓ですが、岡山県の石上布都魂神社はこの神話の舞台からそれほど遠くではありません。つまり日本の刀剣の祖と言われるこの聖剣は、もしかしたら初めは石上布都魂神社に祀られ、その後に大和朝廷の軍事の中心であった石上神宮へと移されたのかも知れません。

 
明治7年(1874年)と明治11年(1878年)に、石上神宮が社殿を造営するために禁足地を発掘した際に鉄剣が発掘され、このうちのひとつが天十握剣=天羽々斬剣として祀られているとのことです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.