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黄泉の国の軍勢を追い払った「天十握剣」

刀剣伝説

 

日本の刀剣の祖、原点と言われる「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」またの名を「天之尾羽張(あまのおはばり)」は、日本の国土と神々を生んだ「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」が持つ剣です。
そして伊邪那岐命は、「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」という火の神を生んだことが原因で妻の「伊邪那美命(いざなみのみこと)」を亡くした嘆きから、この天十握剣で息子の火之迦具土神を斬ってしまったのでした。
古事記・日本書紀に語られる伊邪那岐命と伊邪那美命の神話は、ここで終わることなく更に続きます。

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亡き妻に会いたいと、黄泉の国に行ったイザナギ

妻を亡くした伊邪那岐命は、伊邪那美命に会いたいと黄泉の国(死者の国)に向かいます。
そして黄泉の国の御殿で伊邪那美命と再会するのですが、現世に戻ってほしいと言う伊邪那岐命に妻は、「もう黄泉の国の食べ物を食べてしまったので帰ることはできませんが、黄泉の国の神と相談してみます。ただしその間、わたしの姿を見てはいけません」と御殿の中に入りました。

 
なかなか妻が戻って来ないので焦れた伊邪那岐命は、御殿の中に入りその姿を見てしまいます。そこには、蛆がたかり8種類の雷神が身体のあちらこちらでゴロゴロと鳴っている、なんとも醜い姿の妻がいたのです。驚いた伊邪那岐命は、黄泉の国から逃げて帰ります。
すると伊邪那美命は「よくもわたしに恥をかかせた」と、黄泉の国の醜女(しこめ)たちに夫を追わせ、続いて8種類の雷神に1500人もの黄泉の国の軍勢を従わせて追わせるのです。

 

 

天十握剣が辟邪の剣として振るわれる

黄泉の国の軍勢に追われた伊邪那岐命は天十握剣を抜き、後ろ手に降りながら逃げて行きます。そして黄泉の国と現世との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)という坂まで来て、そこに生っていた桃の実を3つ取って投げつけると、黄泉の国の軍勢は退散して行きました。

 
このように伊邪那岐命は、十握剣で黄泉の国の軍勢と実際に戦うのではなく「後ろ手に振りながら逃げる」わけですが、じつはこの剣の使い方は単に軍勢が怖いから振って逃げたのではなく、大きな意味があるのだそうです。それは「辟邪の剣(へきじゃのけん)」という考え方です。

 
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」の伝説でもご紹介しましたが、「辟邪(へきじゃ)」とは古代中国の伝承に出てくる神獣であり、頭には鹿の角に似た2本の角が生え、虎や獅子のような身体をして地上を歩く龍に似た想像上の動物で、邪悪なものを避けることから辟邪と呼ばれました。
古代の国や部族の長が持つ最も優れた鉄剣は、この辟邪のように対立する他国や他の部族、あるいは邪悪なものや悪霊、怨霊などを退ける「辟邪の剣」とされ、単なる武器を超越した神聖な武器、神が宿る「神器」と信じられたのです。

 
伊邪那岐命が天十握剣を「後ろ手に振りながら逃げた」のは、まさにこの辟邪の剣を振る
う行為でした。左右に何回も剣を振るのは、例えば神社の神主さんがお祓いのときに榊でできた「大麻(おおぬさ)」というものを左右左に振るのと同じようなことです。
大麻は振ることによって穢れを祓うのですが、辟邪の剣の場合は邪悪なものを実際に斬らずして追い祓うのだそうです。

 

 

神聖な剣となった天十握剣

このあと物語は、伊邪那美命自身が黄泉比良坂まで追って来るのですが、伊邪那岐命は千引の岩(ちびきのいわ)という大きな岩を黄泉の国との間に引き据えて現世と分け、妻と永遠に別れることとなります。ちなみに黄泉比良坂は出雲国、今の島根県松江市東出雲町の伊賦夜坂(いうやさか)だと言われています。

 
さて、このように天十握剣は、妻の死の原因をつくった息子を斬った悲劇の剣から、黄泉の国の軍勢を追い払った辟邪の剣、つまり神聖な剣となりました。この神話は、邪悪なものを斬らずして退散させる辟邪の剣が日本で初めて記述された物語ですが、このことからも天十握剣が日本三霊剣のひとつ、日本の刀剣の祖とされたのかも知れません。

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