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呪いはどこまで続く?ホープダイヤモンド、売却の歴史

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18世紀のフランス革命以降、20年の所在不明期間を経て、1830年頃からおよそ100年ほどかけて、フランスとアメリカで数々の人々を破産に追い込んでいったというホープダイヤモンドは、1911年頃には、現在も高級ブランドとして人気を持つカルティエを経て、再びアメリカに渡ります。譲り受けたのは、当時のアメリカの社交界で著名であったとされる、エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンという人物でした。

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呪いのダイヤモンドであることを納得して購入

富豪にして、社交界で活躍していたという エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンは、ホープダイヤモンドに関わった人々に不幸が降りかかっていたという逸話を知ったうえ、納得したうえでホープダイヤモンドを購入した、といわれています。そのため、購入当初はそれほど身にはつけていなかったものの、社交の場においてかかさず付けるようになっていった、といいます。しかし、ここでもホープダイヤモンドは、その「呪いの威力」を発揮したようです。

 

マクリーン夫人にも災いが降りかかる

マクリーン夫人のホープダイヤモンド購入が1911年、そのおよそ30年後の1947年、マクリーン夫人は61歳で死去していますが、ホープダイヤモンド所有者の例に漏れず、破産に至っている、とのことです。他にも1920年代に「一人息子を亡くした」との逸話がありますが、真偽の程は定かではありません。

マクリーン夫人は亡くなる際、「ホープダイヤモンドを向こう20年間は売却しないように」、との遺言を遺した、とされていますが、その意図は、「孫の代での破産を防ぐ」ためのものだった、といわれています。このことからマクリーン夫人が、呪い云々といった逸話よりも、現実的合理的な判断をおこなっていた、と考えられます。

 

ハリー・ウィンストンへ売却されて

しかし1949年、マクリーン夫人の遺言どおりにはならず、債務弁済を名目に、ホープダイヤモンドは再び売却されることになります。次の売却先は、アメリカはニューヨークのダイヤモンド商、ハリー・ウィンストンでした。

彼はその後転売はおこなわず、1958年に、現在ホープダイヤモンドを所蔵している、アメリカのスミソニアン博物館に、ホープダイヤモンドを寄贈しています。本人は1978年に病没していますが、ハリー・ウィンストンは、現在でも最高級の宝飾品ブランドとしてのネームバリューを持っており、日本でも直営店を多く抱えている存在です。ここに至って、ホープダイヤモンドの呪いは、ついに解かれたかのように見えます。

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カテゴリ: その他

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