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鬼と女とは、人に見えぬぞよき…鬼と女性と心のなかの情念のお話

不思議体験
 
平安時代の後期以降にできた短編物語集に、「堤中納言物語」というものがあります。
この物語集のなかに「虫愛づる姫君」というお話があって、主人公は按察使大納言(あぜちだいなごん)という高い官職の父を持つ姫君でありながら、当時の姫君にはあり得ない化粧もせずお歯黒や引眉(眉を抜いて細い眉を墨で描く)もしないばかりか、好きなものは可愛らしいものではなく皆が気味悪がる毛虫なのだといいいます。

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この姫君は今で言えば虫オタク、それも毛虫オタということなのかも知れませんが、当時の感覚からすれば相当に変わった女の子だったのでしょう。ちなみに「風の谷のナウシカ」のナウシカは、この「虫愛づる姫君」から着想を得たとも言われています。

 

鬼と女は、人に見えぬぞ良き

さて、この姫の両親は変わり者の娘にほとほと困っていて、なんとか普通の娘になってもらいたいと説教をするのですが、この姫君は頭も良く理屈っぽいところもあって反論してきます。両親が「やはり女性は見た目や印象が大切なのだから、世間から気持ち悪い虫にしか興味がないなんて噂されるのは嫌でしょ」と説いても、「私は蝶ではなくて毛虫が蝶になるということに興味があるの」「絹だって、蚕が羽化する前に取り出すわけでしょ?羽化してしまったら、それこそ誰にも相手にされないわ」と言い返します。

そしてこう言うのです。「鬼と女とは、人に見えぬぞよき」つまり、鬼と女性は人に姿を見せないから価値があるのだと。

この虫愛づる姫君の言葉はよく知られたもので、いろいろな解釈があるかと思いますが、鬼の本当の姿、女性の本当の美しさ、あるいは人の心にある本当のものは、簡単には見えないからこそ良いのだと言っているのかも知れません。

 

心のなかにある見えないものから鬼が生まれる??

平安時代の高貴な姫君は、家族以外の男性と話をするときには御簾(みす)や几帳(きちょう)といった間仕切りを隔てて対面しました。そういうこともあって、女性は「人に見えぬぞよき」であったのかも知れませんが、それ以上に「鬼と女とは」と並べて言ったところに大きな意味があったようです。

人は他人が見えない心の内に様々なものを隠しています。それは他人には明かせない秘めた恋愛感情であったりしますが、強い執着や嫉妬、悪意や絶望、怒りなどと、その情念がどんどん激しくなっていくと、人の心は鬼へと変化して行きます。平安時代のころには、そういった激しい心が鬼を生みだし、またそのような情念にとらわれた女性は鬼女になってしまうと考えられていました。

虫愛づる姫君の言葉は、そのような人の心の中に棲んでいる鬼をむき出しに見せないからこそ良いのだ、と言っているのかも知れません。

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