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古代エジプトの岩窟墓、王家の谷の秘密

エジプト ルクソール
 
エジプトは、正式名エジプト・アラブ共和国の通称として知られています。エジプトといえば、砂漠のイメージに加えて、ピラミッドやスフィンクスがあることでも有名です。ピラミッドの建設理由は諸説ありますが、古代エジプトの王の墓として作られていることが通説になっています。一方、王家の墓としてのピラミッドは、実は限られた時代に作られたものであり、古代エジプト時代のもうひとつの大きな王家の墓の形態、岩窟墓で構成されている場所があります。それが王家の谷です。

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王家の谷の位置

王家の谷は、現在のエジプトのルクソール(古代エジプト時代の首都であるテーベが、現在ではルクソールと呼ばれています)の、ナイル川西岸にあります。この地にある岩山の、谷になっている部分にある岩窟墓群が、王家の谷という場所です。この呼称の由来としては、古代エジプト新王国時代(紀元前1570年~1070年頃)の王の墓がこの場所に集中して作られていることから、王家の谷(英語でKings Valley)という名称で呼ばれるようになりました。古代エジプト新王国時代当時には、「ネクロポリス(死者の都)」とも呼ばれていた墓地でした。

 

大小64の岩窟墓が密集する谷

王家の谷は、大きく東の谷と西の谷に分かれており、東側のほうでは60個、西の谷のほうでは4個(一説によると東側は58個とカウントされる場合もあります)の古代エジプトの王の岩窟墓が発見されています。エジプトの王の墓というと、ピラミッドをイメージされる方が多いと思われますが、有名なピラミッドの多くは、紀元前2700~2100年頃までの、古王国時代に作られていますので、岩窟墓の多くは、ピラミッドよりも約600~1000年後になって作られたものである、とされています。

 

岩窟墓が作られた理由

古代エジプトは、慣例として大きく3つの時代に分けられています。古王国時代、中王国時代、そしてエジプト新王国時代です。エジプト新王国時代より前の時代には、岩窟型の墓は作られていませんでした。古王国時代には、王家の墓として、有名なピラミッドが建設されていました。その後中王国時代には、ピラミッド建設は減少し、新王国時代になって、墓荒らしによる盗難などが相次いだことから、王の墓を隠すために、岩窟墓が作られるようになりました。エジプトの王家の墓は、非常に長い期間をかけて、その形態を変化させています。一般のイメージとは違い、数百年というスパンで、墓の形態は大きく異なっているのです。

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カテゴリ: その他

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