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2.世界の七不思議、オリンピアのゼウス像概要(後編)

オリンピアのゼウス像

 

世界の七不思議は、「ビザンチウムのフィロン(ビザンチウムとは、紀元前7世紀頃に建設された、ビザンツ帝国=別名東ローマ帝国の首都であり、330年以降は、この地に遷都したコンスタンティヌス1世にちなんで、「コンスタンティノポリス」とも呼ばれます。

 
現在のトルコはイスタンブールの辺りに存在していた、とのことです)なる人物が、紀元前2世紀頃に、地中海~小アジア地域を中心に「驚異的な建造物」を七つピックアップしたものが始まりとされています。
その中のひとつ、オリンピアのゼウス像は、建造物として現存はしていないものも、創建当時は、座像(ゼウス神が座った姿の像)でありながら、その高さは12メートルほどもある、巨大な像であったといわれています。

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杉で作られた基礎に象牙があしらわれている

ゼウス像は、杉の木で作られた後、全体の表面を象牙で覆って作られていた、といいます。
また、実存していたときには、表面部分の象牙の乾燥を防止するために、常時オリーブ油を塗布していたそうです。

 
台座は金と象牙に加えて、黒檀や宝石で装飾され、右手には勝利の女神であるニケの彫像、左手には鷲を止まらせた錫杖を持っている姿であった、と考えられています。
像の完成から800年後の394年には、当時のビザンツ帝国の遷都に伴って、ゼウス像がオリンピアからビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリス(つまりビザンチウム)に移された、との記録が残っています。

 

 

神殿の建設は紀元前456年

ゼウス像が設置されているのは、ゼウス神殿と呼ばれる、巨大なゼウス像を格納するのに十分な大きさをもった神殿でした。
エリス(ペロポネソス半島西北の小ポリス=都市)の建築家であったリボンという人物によって設計された、といわれています。
ゼウス神殿は、前後各6本、左右各13本のドーリア式列柱を設置したうえで、縦約27メートル、横約64メートルの広大な敷地に建造された建物であり、当時のギリシャ地域としては、最大級の建造物のひとつでした。
しかしビザンチウムのフィロンが「世界の七不思議」としてあげたのは、ゼウス神殿ではなく、その中に設置されているゼウス像のほうでした。

 

 

ゼウス像は当時の高名な彫刻家の手によるもの

ゼウス神殿とゼウス像の設計者は異なっていて、前者は前述のリボン、後者はアテネ(現在のギリシャの首都で、東ローマ帝国の属領となる以前には、ギリシャ世界の学芸の都として栄えた都市です)の彫刻家のフェイディアスという人物であった、とされています。
フェイディアスは、当時のギリシャ地域、古典ローマを代表する彫刻家であり、ゼウス像のほかにも多くの作品を手がけた、といわれています。

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カテゴリ: その他

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