> >

山幸彦と海幸彦と龍の伝説…海神からもらった2つの玉と八尋和邇の姫

古代文明
 
『古事記』『日本書紀』にある「山幸彦と海幸彦」の神話は浦島太郎伝説のもとになったと言われる神話で、そこに出て来る海神は龍神に関係があるのでは?というお話を前の記事でご紹介しました。
そのキーワードは、山幸彦が海神の宮から帰るときに持たされる「潮満つ玉」と「潮干る玉」という2つの玉。そして、山幸彦と結ばれその子供を産みますが、本来の姿を見られて海に帰る「豊玉毘売命(とよたまひめ)」の、その本来の姿とされる「八尋和邇(やひろわに)」です。

スポンサードリンク


 

玉は龍と切っても切れない関係にある

龍の絵を見ると、「玉」と一緒に描かれていることが多いですね。この玉は仏教では「如意宝珠(にょいほうじゅ/チンターマニ)」と言って、意のままに様々な望みを叶えてくれる宝の玉(珠)です。長崎の諏訪神社の祭礼である「長崎くんち」の「龍踊り(じゃおどり)」では龍が目の前の玉を追いかけて乱舞します。ここでは玉は太陽や月を表し、龍が玉を飲むことによって、太陽や月は隠れて空は暗くなり雨雲を呼んで雨が降るという雨乞いの伝承から、この踊りが行われるのだそうです。

インドの龍(ナーガ)は仏教に取り込まれて釈迦を護る守護神となり、中国に伝わって中国の龍と合わさって「龍王」となりましたが、仏教では龍は強い神通力はあるもの煩悩によって解脱できないとされました。龍の神通力の源は如意宝珠ですが、それによって煩悩は増えて行くので、この玉を手放せば龍は悟りを開けるとされています。「法華経提婆達多品(ほけきょうだいばだったほん)」という教典には、海中の龍宮に棲む龍女に文殊菩薩が法華経を説き、龍女は宇宙全体の価値に等しいという如意宝珠を釈迦に奉納して、悟りを得たという話があります。

このように玉と龍は切っても切れない関係にあり、海神が山幸彦に潮(水)を意のままにできる2つの玉を持たせたというのは、龍神と大いに関係のある話だと思われます。
また豊玉毘売命や、その妹で豊玉毘売命の産んだ子を育てることになる「玉依毘売命(たまよりひめ/玉依姫)」の名前に玉の文字が入っているのも偶然ではないでしょう。

 

八尋和邇と龍の関係

もうひとつの、山幸彦との子供を産む豊玉毘売命の本来の姿とされた「八尋和邇」には、どういう意味があるのでしょうか?

八尋の「尋(ひろ)」とは古代の長さの単位で、両手を広げた長さを示し、通常は1尋=6尺としますから約1.818mとなります。これは明治時代に定められた1尺=約0.303mによるものですが、1尋=5尺とすることもあるそうです。仮に1尋を1.818mとすると、8尋は約14.5mもの巨大なもの。これは山幸彦でなくても驚きます。

「和邇(わに)」は言葉通りであればワニですが、日本にはワニはいないことと海神は海中に棲むことから、これは「サメ」であるという考え方があります。実際、日本では古くからサメをフカやワニと呼ぶことからも来ているとされています。

しかし海神=龍神と捉えると、もうひとつの考え方があるのではないでしょうか。それは龍宮の源流である中国南部では、龍は蛇であるとともにワニがもとになっているという説があるからです。というのも、龍のふるさとのひとつである長江文明の長江(揚子江)には、現在でも「ヨウスコウアリゲーター」というワニがいるからです。また800年前までには、「マチカネワニ」という古代ワニがまだ揚子江で生息していたと考えられています。

実はこのマチカネワニ、日本でも化石の見つかる古代ワニで、その名前の由来となった大阪府豊中市の大阪大学構内の待兼山から発掘された化石からは、全身の長さが6m以上と推測されています。この化石の年代はおよそ50万年前のものですが、日本にも巨大なワニがいたのですね。ちなみにマチカネワニの学名は、「Toyotamaphimeia machikanensis」と名付けられ、つまり豊玉毘売命にちなんでいます。

神話の時代の日本にまだワニがいたのか、そうではないとしても中国南部のワニ=龍とする文化が入って来たのか、長江文明と古代日本との交流を考えるとき海神は龍神であったと考えることができるかも知れません。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.