気まぐれな天狗が幸せをもたらす?天狗山と天狗石(静岡)の伝説
日本各地には「天狗山」や「天狗岳」といった、天狗の名前がついた山が数多くあります。
ネットで調べてみても天狗山は、北は北海道から南は九州・鹿児島まで全部で48ヶ所。天狗岳も同じく北海道から佐賀まで23ヶ所と、合わせると71ヶ所もあり、そのほかにも大天狗山や白沢天狗山など名称に天狗が入った山がいくつもあります。
それらの天狗山、天狗岳は標高が78mのほんの小高い山(仙台の天狗山/愛宕神社がある愛宕山の旧称)から、2646mの高山(長野県茅野市の八ヶ岳連峰にある天狗岳)まで高さや規模も千差万別ですが、その数の多さは日本の山と天狗との縁がいかに深いかを表しているのではないでしょうか。
そのようななかで静岡県には「天狗岳」と「天狗石山」という、2ヶ所も天狗の名がついた山があります。
天狗が道路工事をした山?
静岡の天狗岳は静岡市の葵区(旧阿倍郡玉川村)、南アルプスに連なる山々のなかにあり、標高は1026mです。このあたりは南の中村山や夕暮山から尾根を縦走して天狗岳へと至る登山コースになっていますが、静岡でも最も入山者が少ない山のひとつだそうです。
その天狗岳と、お茶の産地である葵区の奥藁科(大川地区)という地域を挟んで反対側、榛原郡川根本町との境にあるのが標高1336mの天狗石山。この天狗石山には天狗にまつわる伝説が伝えられています。
天狗石山の辺りを通る道は、遥か昔より三河の国(愛知県)から駿河の国(静岡県)の山中を通って、甲斐の国(山梨県)へと通じるただひとつの道でした。古代から日本では、このような山の道が盛んに活用されていたのです。この山の道を使って甲斐からは絹織物などが、三河からは塩や魚などが運ばれていました。
しかし天狗石山の辺りは雨の季節には泥がぬかるんで歩きにくく、いちばんの難所とされていたそうです。またここには天狗が棲んでいて、山の道を通る商人たちを驚かせたり酒や魚を取り上げたりなど、より一層通行が困難な場所となっていました。
そんなある日、三河の年老いた商人が泥にはまって難儀をしていると天狗が降りて来ました。商人は驚いて逃げようとしても、足が泥に取られて逃げられません。「魚も何も差し上げますからお助け下さい」と商人が言うと、天狗はその姿を見て大笑いし「お前たちはいつも苦労しているようだから、わしがなんとかしてやろう」と去って行きました。
その晩、山のほうから太鼓や笛の音が賑やかに聞こえてきます。そして夜が明けると、ぬかるんだ道には川石が敷き詰められていました。これは天狗がひと晩のうちに、太鼓や笛の音とともに大井川から石を運んで敷いたものだったそうです。それからこの山は天狗石山という名前になったということです。
天狗の落ちない大石
天狗石山の西側、川根本町にある温泉で有名な観光地は寸又峡ですが、その寸又峡の外森山の中腹にある外森山神社の参道を登ると「天狗の落ちない大石」があります。この大石にはこんな伝説が遺っています。
むかし、信州との境にある光岳(てかりだけ)という標高2592mもある高い山に棲む天狗が、黒法師、前黒法師という2人の従者を連れて大間(現在の寸又峡)にやってきました。
天狗が大間の集落が見渡せる小高い社にあった大きな石の上から辺りを見ると、そこは畠も作物も少ないとても寒々とした場所でした。
そこで天狗は、大歳神(おおとしかみ)という穀物の神様を呼び寄せて、五穀(麦・栗・稗・豆・黍)を持って来て下さるようにお願いしました。そして袋一杯の五穀を大きな石の上に広げると、五穀は石の上から社の外にまであふれ出たそうです。
この天狗が乗った大石は、断崖から落ちそうでも何百年も留まり続けていることから、「天狗の落ちない大石」と呼ばれ、ご神体となったということです。現在でもこの大石は、合格を願う受験者や鳶職、大工さんなどの仕事柄「落ちてはならない人」の守り神として祀られています。また寸又峡では3月に「春を呼ぶ天狗まつり」も行われます。
この天狗伝説は、山からやってきた山神=天狗が、大歳神とともに里に福をもたらす来訪神、招福神として描かれる典型的なお話になっています。