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浦島太郎の昔話のルーツは中国にあった?長江文明から伝わる龍宮伝説

中国古代文明
 
浦島太郎の伝説でとても不思議なのは、この物語が初めて記述された『日本書紀』や『丹後風土記』では、浦島子(浦島太郎)が行くのが「龍宮」ではなく「常世の国(とこよのくに/蓬莱山)」であるということ。また中世の『御伽草子』でようやく「龍宮城」が登場しますが、そこで浦島太郎をもてなし暮らす姫は、一般に言われるように龍神の娘である「乙姫」ではなく「亀の姫」であることです。御伽草子でようやく「龍宮城」へ行くことになったのに、どうして龍の姫ではないのでしょうか?

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その不思議を探るために、浦島太郎伝説の源流を辿ってみたいと思います。が、その前に「乙姫」の意味について。「乙姫」とは本来、「兄姫(えひめ)」に対する「弟姫(おとひめ)」のことで、つまり妹姫、年下の姫、年若い姫という意味だそうです。そこから若くて美しい姫のことを乙姫と呼んだようで、固有の名前と言う訳ではありません。

 

沖縄の龍宮伝説

沖縄には、本土の「常世の国」に似た「ニライカナイ」という考え方があります。ニライカナイは海の彼方または海の中にある異界、神界で、生命の源であり、そこからやってくる神が豊穣をもたらすとされています。亀はニライカナイからやって来る神の使い、または神であり、沖縄ではとても大切にされています。
このニライカナイが龍宮につながり、沖縄には龍宮にまつわる多くの民話があります。

本島の与那浜で女性の「かもじ」(添え髪)を拾った正直者の漁師が、それを探していた娘に感謝され龍宮に案内されて歓待され3ヶ月ほど過ごしますが、故郷が恋しくなり帰ると言うと、娘から「開けてはいけない」紙包みを渡されます。
故郷に漁師が帰ってみると辺りは変わっていて、三十三代も代を重ねる年月が経っていました。漁師が紙包みを開けるとそこには「かもじ」が入っていて、そこから煙が沸き立つと漁師は年老いて死んでしまいました。

この話は浦島太郎伝説ととてもよく似ていますが、このほかにも龍宮にまつわる話として、金持ちの家の心優しい娘が村一番の貧乏な男と一緒になり、この貧乏男が海の中の龍宮の黄金を取って来て金持ちになるが、今度は娘の実家が貧乏になってしまい両親を引き取って一緒に暮らした話。津波に襲われて家を無くした男が海岸の洞窟に住んでいると、龍宮の神から最初に出会った男を夫にするように言われて、やって来た龍宮の娘と結婚する話などがあります。

沖縄はこのように龍宮がより身近な存在でしたが、やはり龍そのものは出て来ません。

 

長江文明を源流に持つ龍宮伝説

しかし、中国南部の長江(揚子江)につながる湖南省の大きな淡水湖である洞庭湖には、明確に龍神の棲む龍宮と、日本の浦島太郎伝説とそっくりの伝説があったのです。

この話は、『拾遺記』という後秦時代(384年から417年)の王嘉という人が撰した「志怪小説(しかいしょうせつ)集」(奇怪な話を集めたもの)に収められています。それによると、若い漁師が女性を助けるのですが、その女性は実は龍女で、漁師は彼女に案内されて洞庭湖の湖底にある龍宮に行くのです。その後の展開は浦島太郎伝説でほぼ同じで、龍女から「私に会いたくなったら、これに向かって私の名前を呼びなさい。でも決して開けてはいけない」と渡された手箱を開けてしまい、この漁師は死んでしまいます。

この伝説が載っている『拾遺記』が4世紀末から5世紀初めという古い時代ですが、何よりもこの話の舞台となる洞庭湖が長江の中流域にあること。この地には水や日照が豊富で、紀元前7000年から稲作文化が始まり、「生命」や「再生」「豊穣」を象徴する龍蛇信仰がおそらくは盛んであったことに意味があるのではないでしょうか。

そこからも龍宮伝説や浦島太郎の物語の源のひとつは、この中国南部の洞庭湖であるかも知れず、海の道を伝わって沖縄から本土の丹後(京都府)へと伝わって来たのかも知れません。

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