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愛宕山…八大天狗の筆頭・愛宕山太郎坊が棲む日本一の天狗のメッカ

パワースポット
 
日本の山の名前で何が一番多いのかご存知ですか?
読み方は「しろやま」や「じょうやま」など色々ですが第1位は「城山」で、全国に276山あるそうです。これは主に山城が造られたことに由来する名前ということですね。第2位は「丸山」で158山。そして第3位が「愛宕山」で、全国に111山あります。

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この愛宕山の多くが、「愛宕神社」に関係のある神社があることからついた名前で、その総本社が京都の愛宕山(標高924m)の山頂にある愛宕神社です。愛宕神社は全国で約900社あるそうですから、すべてが愛宕山という山にあるわけではありませんが、愛宕山にしても愛宕神社にしても、とても多くの愛宕という場所が日本全国にあることになります。ちなみに日本で最も数の多い神社は稲荷神社で、稲荷神を主祭神とする神社(2,970社)に境内社や合祀社を合わせると約35,000社もあるとか。二番目に多いのが八幡神社(7,817社/主祭神では1位)で、こちらも境内社や合祀社を合わせると2万社近くになるそうです。

さて、愛宕山、愛宕神社の大本が京都の愛宕山であり愛宕神社なのですが、この愛宕山に棲む大天狗こそが、日本の天狗の代表であり八大天狗の筆頭である「愛宕山太郎坊」なのです。

 

京都の山岳宗教と修験道の中心地だった愛宕山

京都の愛宕山は、飛鳥時代終盤の700年代の初め頃に、修験道の開祖と言われる役小角(えんのおづぬ)と修験僧である泰澄(たいちょう/雲遍上人)がこの山に入り、天狗に出会ってその神験に触れ神廟を造ったのが始まりとされています。その後、奈良時代の終わりに平安遷都、つまり京の都の造営に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)と僧の慶俊が「愛宕大権現」を祀り、山頂の白雲寺とそれを含む愛宕五坊という5つの寺が建立されました。

この白雲寺と愛宕山が神仏習合によって修験道の道場となって、比叡山などと並ぶ近畿地方の7つの霊山「七高山(しちこうざん)」のひとつと数えられ、また愛宕大権現は多くの信仰を集めるようになりました。

なお、愛宕神社となったのは明治の神仏分離令によってで、白雲寺は分離されて廃絶され、それ以降は主祭神にイザナミを祀る神社となっています。

 

役小角と泰澄が太郎坊と出会う天狗伝説

愛宕山の修験道の始まりである、役小角と泰澄(雲遍上人)と天狗との出会いにはこんな伝説が伝えられています。

役小角と泰澄が愛宕山の清滝を訪れると、にわかに雷雲が起こり激しい雷雨となって先に進めなくなってしまいました。ふたりが祈祷を行うと空は晴れ、ふと見上げると大きな杉の木の上に天竺(インド)の日良、唐の善界、日本の太郎坊という、3つの国の大天狗の統領(親玉)がそれぞれ数万の眷属の天狗を率いて現れました。
大天狗は「われらは二千年もの昔に仏に命じられてこの地を領地とし、人々に恩恵をもたらす者だ」と告げ、姿を消して去って行きました。
泰澄はその天狗が現れた大きな杉を「清滝四所明神」とし、朝廷の命によって山頂に神廟を造立したのが愛宕大権現と白雲寺(愛宕神社)の始まりだと言うことです。

この伝説は江戸時代の文献に出てくるお話ですので、太郎坊は日本の天狗の統領とされていますが、実は飛鳥から奈良時代の頃には「大天狗」や「天狗の統領」という考え方はなかったと思われます。というのも、もともと愛宕山の天狗の名前は書物にはなく、愛宕山太郎坊の名前が出てくるのは平安時代末期の源氏と平家の興亡を描いた「源平盛衰記」。ただし、古くから愛宕山には天狗が棲むというのは言われていて、その名前が「太郎」であるという伝承はあったようです。

どうして太郎坊が日本の天狗の親分になったのかは正確にはわかりませんが、おそらく古くからの山神への信仰が愛宕大権現への信仰となり、京の都の人々の間に伝わって行ったからかも知れません。

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