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鬼を使役する陰陽師・安倍晴明と最強の式神「十二神将(十二天将)」

鬼伝説

平安時代の大陰陽師である安倍晴明は、鬼退治と関わりが深いだけでなく、自ら鬼を自分の家来として使役していたと言われています。
晴明が家来としていた鬼とは「式神(しきがみ、しきじん)」と呼ばれているもの。式神とは陰陽師が使役した鬼神のことで、式とは「用いる、使役する」という意味があり、「式鬼」「式鬼神」とも呼ばれます。

 
式神にはいくつか種類があり、主なものとして「陰陽師が霊的につくり出した式神」、「鬼神などもともといた鬼や神などの霊的な存在を陰陽師が術をもって屈服させ、式神としたもの」、「紙や藁などで人形(ひとがた)の形代(かたしろ)をつくり、そこに術を用いて式神としたもの」があります。よく映画などで、陰陽師が紙を使って人形に切り、そこに文字を書いて念を吹き込むと人間や動物などの姿の式神となって動き出す、というのがこの3つ目の式神です。

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安倍晴明の式神、十二神将

歴史上最強の陰陽師である安倍晴明は、最強の式神を使役していました。それが「十二神将(十二天将)」と呼ばれる12人の神です。
十二神将は仏教の世界では、薬師如来の「十二の誓願」(この世を救うための12種類の願い)に応じて、12の時間、12の月、12の方角を守る12人の天界の武将であるとされていますが、陰陽師の陰陽道の世界ではこの仏教の十二神将とは異なり、天文と干支術を組み合せて行う占術である「六壬神課(りくじんしんか)」において、子・丑・寅などの十二支に対応して象徴的に表される十二種類の天将のことです。

 
天将は古代の天文道において、北極星を中心とした星や星座などに起源をもってシンボル化された神(将軍)であり、6人の吉将と6人の凶将に分けられていて、東西南北を守護する「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」もこの十二神将のなかに含まれています。
十二神将=鬼といえるかどうかはわかりませんが、安倍晴明は最強の鬼神を式神としていたということだと思われます。

 

 

今昔物語に語られる晴明と式神のお話

今昔物語にはこの安倍晴明と式神の話が出てきます。
晴明が京の都の洛外、広沢の遍照寺に寛朝僧正(かんちょうそうじょう)を訪ねた際、公達や僧たちがこう尋ねました。「あなたは式神を使うといことですが、たとえばその式神を使って人を殺すことはできますか」晴明は「そう簡単に人を殺すことなどできません」「虫などを殺めるのならなんでもありませんが、人となると簡単ではありません。少し力を入れればできますが、生き返らすことはできませんので、殺生の罪を犯すような無益なことはしません」といなしますが、別の公達が「それでは試しにあそこにいる蛙を殺して、その術の力を見せてくれませんか」と言います。

 
晴明は「やれやれ罪作りなことを仰ります」と肩をすくめますが、「それではご覧に入れましょう」と足下の草の葉を摘み取り、呪文を唱えると蛙に投げつけます。草の葉はふわりと飛んで蛙の背中に乗った瞬間、その蛙はぐしゃりと潰れてしまいました。これを見た公達や僧たちは顔色を失い、安倍晴明の力の強さを大いに恐れたということです。
このお話では、晴明は草の葉を形代に式神にして飛ばした、ということでしょうか。

 

 

陰陽師・安倍晴明と鬼との関係

平安時代に鬼と関わりの深い有名人と言えば、大江山の酒呑童子を退治した源頼光と彼の四天王である渡辺綱や坂田金時(金太郎)などですが、もうひとり平安時代を代表する陰陽師・安倍晴明がいます。
安倍晴明は921年に生まれたとされ、幼い頃からその当時の陰陽道の大家であった賀茂忠行・保憲の親子の弟子となり、やがて朝廷の陰陽寮に入って50歳頃には天文博士に任じられます。安倍晴明の登場によって安倍氏は賀茂氏と並ぶ陰陽道の大家の地位を獲得し、晴明は今日でも日本の歴史上最強の陰陽師として語り伝えられることになります。
ちなみに源頼光は948年生まれ、渡辺綱は953年の生まれですから、安倍晴明よりも約30歳年下のほぼ同時代の人ということです。

 

 

幼いころに鬼を見た晴明

安倍晴明と鬼との関わりは彼がまだ幼い頃、賀茂忠行の弟子であったときから始まっています。
ある日、晴明は賀茂忠行のお供で出かけました。師の忠行は牛車に乗ってゆられ、晴明は徒歩でそのあとをついて歩いていると、前の方からたくさんの鬼たちがやってくるのを見つけます。いわゆる「百鬼夜行」という一団であり、これに出会って鬼たちに見つかってしまうと、大きな災難に見舞われてしまいます。慌てて晴明が牛車にゆられ眠っていた忠行を起こすと、即座に忠行は術をかけて鬼たちに見つからないように自分たちを隠しました。

 
このことがあって以降、賀茂忠行は自らが体得していたすべての術を晴明に教え始めます。忠行は幼い晴明が鬼を見つける能力を持っていることから、陰陽師としての持って生まれた能力をあらためて見出し、これを機会に本格的に教え始めたというわけです。
やがて陰陽道のうちの暦道は孫の光栄に、天文道を安倍晴明に継がせることとしました。
この晴明が生まれながらに備えていた、鬼や妖怪、神仏などの霊的なものを見ることができる能力のことを、「見鬼(けんき)」と言います。

 

 

晴明と四天王と鬼女

大江山の鬼である酒呑童子の征伐にも、安倍晴明は関わっています。
京の都に夜な夜な鬼たちが現れ、物を強奪し人を殺し、姫たちをさら乱暴狼藉が頻発します。これが、酒呑童子を頭として大江山に棲む鬼たちの仕業であることを突きとめたのが安倍晴明です。
酒呑童子は源頼光と彼の四天王たちによって征伐されますが、この大江山の鬼退治とは別に晴明と四天王の渡辺綱、坂田金時が鬼を退治する話があります。

 
あるとき、夫が外に愛人をつくったことに嫉妬した妻が、生きながら鬼女になって復讐をしようとします。鬼女になった妻は夫の夢の中にも現れるなど、その怨念はものすごく、弱り果てた夫は安倍晴明に相談しました。晴明はこのままでは夫が鬼女にとり殺されてしまうと思い、鬼女から守るために物忌みを行います。夫に近づくことができなくなった鬼女は、今度は関係のない人間を殺し始めてしまいました。
朝廷は源頼光の四天王の渡辺綱と坂田金時の2人に、鬼女の討伐を命じます。2人は宇治川にかかる宇治橋で鬼女と戦いますが、負けを知った鬼女は「私を祀ってくれれば、もう人間は殺さない」と宇治川に飛び込んでしまいました。
この話を聞いた晴明は、この鬼女が実は元々この宇治橋に祀られていた姫神であったのが、人間の女に生まれ変わっていたことを解き明かします。
以後、人々はこの姫神を神社を建立して手厚く祀り、それが現在の宇治の橋姫神社となったということです。

 
ちなみに「橋姫」とは古くからある大きな橋に祀られている守護神=土地神で、鬼女の姿で現れると言われています。橋姫は嫉妬深いとされており、土地の者以外の人たちがやってきて交差する橋ではそこを守る土地神は他の橋=他の土地神を褒めることを嫌う=嫉妬するということや、女性の姫神であることから嫉妬深い神となったということのようです。

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