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アーサー王誕生の地の謎。イギリス・ティンタジェル城で生まれたのか?

アーサー王

古代イギリス・グレートブリテン島の伝説の王とされる「アーサー王」。彼はいったいどこでどのように生まれたのでしょうか?

伝説と後世に著された物語によって、アーサー王は多くのエピソードに彩られていますが、それではアーサー王とは実在した人物なのか、その真実は定かではありません。

アーサー王の伝説が最初に書物に著された「ブリタニア列王史」(1136年頃)では、アーサー王の母イグレインが身籠ったのはコーンウォールのティンタジェル城だとされています。しかしそれでは、そのティンタジェル城で本当にアーサー王が生誕したのかは、まだわかっていないのです。

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アーサー王はコーンウォールのティンタジェル城で生まれたのか??

ティンタジェル城の遺跡はイギリスのイングランド・コーンウォール地方にあります。
イギリス・グレートブリテン島は、首都ロンドンがあるイングランド、その西のウェールズ、北のスコットランドの3つの国(カントリー)から成っています。

コーンウォール地方は、グレートブリテン島の大西洋に突き出したかたちで最西端にある地方です。
ティンタジェルはその北部にある小さな村で、海に面した断崖に5世紀か6世紀頃からあったとされる城砦の遺跡があります。

それではこのティンタジェル城が、なぜアーサー王生誕の地とされたのでしょうか。
それはまず、アーサーの父とされるウーゼル・ペンドラゴン王が、コーンウォール公ゴルロイスの妻であるイグレインに魅了されてコーンウォール公を攻め、イグレインとの間に生まれたのがアーサーだということです。

ペンドラゴンという称号はブリトン語で「竜の頭」を意味し、2頭の火竜をシンボルとしていました。ちなみに現在のウェールズの象徴は火を表す赤い竜で、ウェールズの旗にも描かれています。

 

 

ティンタジェルで発掘されたアーサー・ストーンとは

5、6世紀頃は、ゲルマン民族の大移動による混乱により、それまでブリテン島のブリタニアを支配していたローマ帝国の軍団が去り、ブリタニアはゲルマン系民族であるサクソン人の侵攻により、混沌としていました。

しかし、ローマ人が去ったとしても決して孤立した辺境だったわけではなく、ティンタジェル城の遺跡の発掘からも、当時の先進地域である地中海世界との交易があったことがわかっています。

1998年にこのティンタジェル城の遺跡で、「アーサー・ストーン」と呼ばれる石板が発見されました。そしてこの石板にはラテン語で「PATER COLI AVI FICIT ARTOGNOV」と刻まれており、この「ARTOGNOV」がアーサー王であり「アーサーの子孫」と読めるという解釈が発表されて、一躍アーサー王生誕の城という話題が盛り上がりました。

しかしこの「ARTOGNOV」は、ブリトン語で「ARTO=熊」「GNOV=と知られる」という意味だそうで、現在では必ずしもアーサー王とは関係しないというのが通説になっています。

 

 

アーサー王の生誕の謎はまだ明かされていない

また近年の発掘では、5〜7世紀のものと思われる厚い宮殿の壁のある建物群の跡が発見されています。これは特にアーサー王の生誕や存在の真実を裏付けるものではありませんが、それでもアーサー王伝説を探る人たちは、この時代にアーサー王の伝説のような王がいたことがそれほど非現実なものではない、と考えているようです。
アーサー王が実際にいたのか?そしてどこで生まれたのか?それは現在も謎のままです。

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