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アーサー王の伝説。ブリテン島の実在した王様なのか?

アーサー王

魔法の力が宿る聖剣「エクスカリバー」、王に仕えた「円卓の騎士」や「魔術師マーリーン」、「聖杯伝説」、騎士道のシンボル、やがて復活するとされる救国の王、そんな様々な物語に彩られた伝説の「アーサー王」は実在したのでしょうか。

アーサー王は5世紀から6世紀初めのブリトン人の王だと言われています。ブリトン人とはイギリス・グレートブリテン島に定住していたケルト系の民族です。つまり現在の英国人の遠い祖先。英国人の成り立ちについては歴史的になかなか複雑ですが、その最も古いもののひとつであると言っていいでしょう。

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ローマ帝国に支配されていたブリテン島

アーサー王がいたとされる、5世紀から6世紀初めのイギリス・グレートブリテン島は、どんな世界だったのでしょう。

日本で言うと、古墳時代の真っただ中です。ヤマト王権が統一政権として確立し、前方後円墳という巨大な墳墓がつくられた時代。古事記、日本書紀に記された神話や伝説の時代から飛鳥・奈良という歴史の時代へとつながっていく時代です。

その頃のイギリス・グレートブリテン島は「ブリタニア」という名前で呼ばれていましたが、もともと定住していたブリトン人などのケルト系の人びとの上に、ローマ人が支配層として君臨していました。

ローマは紀元前55年に、ヨーロッパをはじめとした各地に遠征したユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がブリテン島へと侵攻。その後、紀元43年にローマ帝国の第4代皇帝クラウディウスがブリテン島の大部分を征服します。つまり当時のイギリスは、地中海世界からヨーロッパへと進出したローマ帝国の、最も北方の領地だったわけです。

 

 

ゲルマン民族の侵入により始まるアーサー王の時代

しかし4世紀以降、東ヨーロッパにいたゲルマン系のゴート族がさらに東方のフン族の圧迫を受けるかたちで西ヨーロッパに移動し、ローマ帝国の領土へと侵入し始めます。いわゆるゲルマン民族の大移動です。

ブリテン島にもこの波は押し寄せ、ヨーロッパ領土内の各地で混乱していた西ローマ帝国は5世紀についにブリテン島を放棄してしまうのです。

支配層であり、ローマ軍団という大きな武力を持っていたローマ人たちが去ってしまうと、ブリタニアはゲルマン民族の直接的な侵入を受けることになってしまいました。いわゆるローマ後のダークエイジ(暗黒の時代)の始まりです。

ブリテン島には、北部からゲルマン民族のひとつであるサクソン人が侵入して来ました。この頃のブリトン人たちは、部族ごとにいくつかの小さな王国に分かれて、それぞれが争っていたとされています。

西ローマ帝国の撤退後もこの地に残り、定住したローマ人の戦士もいました。
それらブリトンの諸王やローマ人の戦士が、ときには団結してサクソン人の侵攻と戦いました。
そんなブリテン島を舞台とした戦いの時代が、伝説の王アーサーの時代だったのです。

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