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流転する魂ー輪廻による転生とは(2)仏教の輪廻転生

輪廻転生

「輪廻転生(りんねてんしょう)」と呼ばれる生命や魂の転生の3つの類型のうち、「輪廻型」古代インドの哲学から発生し、バラモン教からヒンドゥー教やジャイナ教へと受け継がれましたが、日本で最もなじみの深い仏教にも色濃く受け継がれました。

そもそもが、仏教を創始したブッダは前世の記憶を持って生まれたとも言われています。
それでは、仏教の輪廻転生はインドの他の宗教での考え方とどこが違っていたのでしょうか。

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輪廻での永遠不滅の魂を否定する仏教の無我

これはちょっとわかりにくい話なのですが、ヒンドゥー教やジャイナ教における輪廻では、永遠に消えることのない「我(アートマン)」というものが存在します。

永遠に消えることのない「我」とは、つまり永遠不滅の魂ということです。古代インドの哲学では、この「我」とは個人の魂(小我)であるとともに宇宙の中心原理(大我)でもあり、輪廻のなかでこの「我」が主体となって転生のサイクルを繰り返すという考え方です。

しかし仏教の輪廻転生ではこの「我」を否定し、「無我」であるからこそ輪廻転生が成り立つとしました。それはどういうことかと言うと、主体としての永遠不滅の「我」があるのであれば、永久に輪廻から抜け出せないか輪廻せずに死ねば主体が消滅するかのどちらかであると考えたのです。

ですからまず主体としての「我」を否定し、「無我」とするところからはじめて輪廻は説明できるとしました。

 

 

仏教が考える輪廻転生のしくみとは

仏教の輪廻では、人間にある認識のエネルギーが連続して働いているものが人間の心であり、人が死ぬとその認識のエネルギーがいったん消滅し、別の場所で新たに類似した認識のエネルギーが生まれる、という考え方をします。

つまり生から死のあとの転生まで同じ魂が永遠不滅につながっているのではなく、ひとつのエネルギーが死によって消えたのち新たなエネルギーとなって誕生するというものです。

しかしその消滅と誕生は、別のエネルギーであっても一貫した流れのなかにあるので、意識は断絶せずにつながっていると考えます。

輪廻と縁起

また輪廻を成り立たせるものとして、仏教では「縁起」という考え方を重視します。縁起といえば「縁起がいい」などと私たちが普通に使う言葉ですが、仏教の縁起とは原因と結果である「因果」の「因」と「果」の間にあるものとします。

つまり、直接的な原因である「因」に対して「縁」とは間接的な条件であり、この「因」と「縁」とが揃って初めてなにがしかの現象である「果」が起こる、というということです。

仏教における輪廻転生は、このように「無我」によるエネルギーの消滅と新たなエネルギーの発生、そこに流れる「因果」と「縁起」によって起きているということなのです。

 

 

日本で初めて輪廻思想の文献を書いたのは聖徳太子!?

仏教の輪廻思想が日本に伝わって来たのは、7世紀の飛鳥時代の頃です。聖徳太子が著したという、仏教の経典「勝鬘経」の注釈書である「勝鬘経義疏(しょうまんきょうぎそ)」が、日本で初めての輪廻思想を述べた文献であると考えられています。

その後、奈良時代になると南都六宗のひとつである法相宗を中心に、輪廻思想が日本でも広まって行きます。
おそらくは縄文時代から続く古代の転生=再生の考え方があった日本ですが、この仏教の輪廻思想が広まることにより、日本人の転生に対する考え方は更に広がることになったのではないでしょうか。

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