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奈良県 石舞台古墳。桜の時期だけ夜の入場が許可される、年に1度の夜桜探訪

石舞台古墳

 
古代日本の中心地であり、飛鳥時代の遺構が数多く残る奈良県高市郡明日香村。ハイキングやサイクリングにも最適な観光地ですが、中でも人気なのが石舞台古墳。

 
わが国最大級の方墳で築造は7世紀初めと推定されていますが、古墳上部の封土はすでになく、巨石で組まれた横穴式石室がむき出しの格好となっています。

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桜の時期だけ夜の入場が許可されます

普段は8時30分から17時までの間しか入場できないのですが、桜が咲き誇る季節には、夜桜とともに石舞台古墳がライトアップされ21時まで入場可能、ということなので行ってきました。

石舞台古墳

古墳にしては風変わりな名をもつ石舞台古墳ですが、キツネが女性に化けて石の上で踊っていた、旅芸人が舞台代わりに大石を舞台として使用した、といた風情のあるものから、江戸時代の文献に見られる「石太屋」(大きな石で造った屋根という意味)が訛ったもの、など名前の由来は様々。

 
ただ、その優美な名にふさわしく、咲き乱れる桜を背景に悠然とたたずむ石舞台古墳は、まさに美しい舞台といっても差し支えなく、大変趣きのある空間でした。

 

美しいだけでなく、優れた技術力も体感できます

玄室(死者が埋葬されている墓室)の天井に使用されている花崗岩の重さが、北側が約64t、南側で約77t、その他諸々を入れて総重量が約2300t。7世紀初頭に、これらの巨石を運搬・組み上げたとされているのですから、当時の土木技術の高さがうかがわれます。

 
玄室内はロウソクの火でライトアップされており中に入ることも可能。見上げると頭上を覆う巨大な花崗岩を仰ぎ見ることができ、その「巨大な闇」に恐れ戦きました。

 
幻想的な雰囲気を醸し出すとともに、玄室内には非常に強い冷気が漂っており、被葬者のただならぬ想いが今もこの中で彷徨っているのではないか、と思わせるほどでした。

石舞台古墳

 

埋葬されていたのは誰?

ちなみに、この石舞台古墳の敷地内の片隅に、被葬者が埋葬されていたであろう石棺が復元されていますが、被葬者は今もって誰なのかは分かっていません。

 
江戸期には天武天皇、現在では飛鳥時代に権勢を誇っていた蘇我馬子説が有力で、その父・蘇我稲目ではないかという説もありますが、永遠のミステリーとなる可能性が大きい模様。

 
いずれにせよ闇に包まれた石棺からは、復元されたものとはいえ、ただならぬ気配が感じられました。

石舞台古墳

 

桜が咲き乱れる時期にぜひ訪れて

ということで、今回はライトアップされた石舞台古墳を訪れたわけですが、辺り一帯を見渡せる高台に、当時の技術の粋を集めた横穴式石室をいただき、季節、ライトアップ、時間帯と、いつもと違う条件化で散策してみると、あらためて大いなるパワーが宿る地であると思った次第であります。

 
桜が咲き乱れる季節に、ライトアップされた石舞台古墳をぜひ訪れてみてください。きっと大いなるパワーを感じることができると思いますので。

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