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忘れられない1999年。立て続けに起こった身内の不幸を締めくくったのは?

不思議体験

 

私の不思議な体験は、1999年の1年間で親戚が10人以上亡くなったことです。

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当時わたしは厄年でした

当時私は予備校生でした。
思えば19歳で厄年でもありました。1年に10人以上、月に1人以上亡くなっていましたし、2人亡くなった月もありましたので、ざっと15人程度でしょうか?
(もちろん、親戚というのは叔父叔母、おじいちゃんはもちろん、父母のはとこや婚族なども含みます)

 
一番身近だったのはおじいちゃん。
一番びっくりしたのは、夫と子供を捨てて駆け落ちし、ずっと音信不通だった父方の叔母でした。

 
初めは、家族で『なんかおかしな年だね』と、多少気味悪がっていたのですが、夏過ぎ頃から不思議な昂揚感?に包まれていたように思います。
冬が始まるころには冗談で『次は家の中のだれかだね』と冗談のネタにしていました。
冗談で話している割には多少怖くもありました。

 
今思えば、お香典だけでどれだけの費用が掛かったのでしょうか?
気になるところです。
父母のだれかがなくなったときの溜息の一因は費用であったのかもしれません。

 

 

おじいちゃんが亡くなったときには本当に悲しかったです

人がなくなることに関して割とドライだった私ですが、おじいちゃんの死は応えました。

 
その年の終わり、おせちを作りながら(今思えば、次の年はお正月をしていないのになぜかおせちだけは作っていました。)
今年は何人の人がなくなったかを数えていました。

 
そして
『世紀末だから、神様が人員整理をしたのではないか?』
と誰かがいい、
『確かにそうかもしれない』
と家族の中で結論付けられました。

 
紅白が始まり、
大変な1年間だったという話が終ろうとしているときに、1本の電話が鳴りました。
恐る恐るでた電話の内容は・・・。
お察しの通り、訃報でした。
なんでも、おもちををつまんだらのどに詰まった。
という、よく聞く(?)けれど、周りにはめったにいない原因でした。

 

 

こうして1999年は終わりました

このお葬式で1999年の訃報は終わりました。
そしてパタッと親戚の訃報はなくなり、ここ最近まで親戚が続けてなくなるということはありません。

 
今でも誰かがなくなると必ず我が家では話題に上るできごとです。

 
当時予備校生だった私としては、模擬試験当日の訃報と、オープンキャンパスで上京予定だった時の訃報がスケジュール的には一番こたえました、一番わりを食っていると感じていました。

 
仕事をしている今では、両親が仕事を休むたびに肩身の狭い思いをしていたんだろうな。
信じてもらえなくて困っただろうなと感じています。

 
私の不思議な体験は以上です。

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カテゴリ: 不思議な体験談

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