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魂が再生する転生のかたちとは(2)日本の古代にあった再生の文化

輪廻転生

「輪廻転生(りんねてんしょう)」と呼ばれる生命や魂の転生のうち、オーストラリアの先住民やパプアニューギニアの小部族社会に伝わる「再生型」では、人が死んだ後その魂は、主に自分の身近な家族や部族の者に生まれ変わるのだとされています。

特にオーストラリアの先住民(アボリジニ)であるユーアライ族に伝わるような、成人にならずに死んだ子供の魂は再生して、同じ母親かまたは別の女性から再び生まれてくるという考え方は、日本の古代にもあったとする説があります。

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7つまでは神のうち

日本には「7つまでは神のうち」という考え方が古くからあります。これはどういう意味かというと、7歳までは完全な人間の社会の一員とはみなさないということで、その存在の半分以上は神や霊(精霊)などの世界に属している存在だとするということです。

むかしは数え年ですから、生まれた年が1歳で7歳というと現在の満6歳。つまり小学校に通い始めるぐらいまでの子供は、まだ「神のうち」ということになります。
これはどうしてかというと、そのぐらいの年齢まではまだ魂が不安定で、肉体と一体となった人間の魂として完全に定着していない、という考え方があったからです。

つまりそこには、母胎の中で成長する胎児に魂がどこからかやって来て、魂が宿った人間として生まれる、という生命観があったということでしょう。

ですから数えで7歳ぐらいまでの子供は、神や精霊、あるいは悪霊といった悪しき存在と出会う可能性が高く、神や精霊に護られる場合もあれば悪霊や邪霊に触れて命を落とすということもありました。

 

 

縄文時代からあった再生による生まれ変わり

日本の縄文時代中期(約5500年〜4500年前)以降の主に関東では、流産や死産と推測される胎児や乳児を甕棺(かめかん)と呼ばれる土器に入れて、通常の墓とは別に埋葬する風習がありました。これは母親の子宮を模した甕棺で埋葬し、死んだ子の再生を願ったと考えられています。

長野県に実在する説

長野県唐渡遺跡から出土した縄文中期の土器には、出産の様子とされる絵が描かれていますが、この絵の女性の顔が黒く塗られており、またこの土器が甕棺であるとすると、股を開いて立つ女性の子宮に赤子の霊魂が入って行く様子を描いたのではないか、という説もあります。

東日本に伝えられている説

日本には古代から死産児の遺体を、玄関の床下や女性用トイレの近く、あるいは道路の四つ角に埋葬するという風習が特に東日本であったといいます。
それは女性が頻繁にまたぐ場所の近くに埋葬することにより、死産児の生まれ変わりを願ったからではないかと考えられています。

まだ人間の身体に定着しきれずに亡くなった乳児は、より早く別の人間として再生するという考え方があったのかも知れません。
縄文時代の大人の埋葬方法である屈葬も、死者に胎児の姿をさせて埋葬し再生を願ったという解釈もありますから、日本には古代から再生による生まれ変わりを信じる文化があったということでしょうか。

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