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ゲシュタルト崩壊
ドイツ語を語源に持ち、なんとも不気味な言葉の響きを持っている「ゲシュタルト」という言葉ですが、「崩壊」というこれもまた若干ネガティブなイメージを持つ言葉と一緒に「ゲシュタルト崩壊」という言葉として、近年比較的広い層に浸透しつつあります。
しかし、真の意味はあまり知られていないようです。

 
ゲシュタルトとは「三次元の物体や二次元の世界を、パーツの集合体ではなく全体感を持って捉える」という概念を指しています。
「崩壊」とは、対象物を認識している間に、その対象物に対して「まとまったなんらかのモノ」という意識が変化、または元の概念が消滅してしまうような事象をあらわすキーワードなのです。

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全体感が失われる?

人間の特性が作用して顕在化するのがゲシュタルト崩壊なのですが、たとえば漢字をじっと見ているとき、漢字を構成している「へん」や「つくり」に意識が寄ってしまった場合に、もともと認識していた漢字とは異なる文字、または絵に見えてきてしまうようなことは、誰しも経験していることかと思われます。

 
これこそが「ゲシュタルト崩壊」です。
物理的な対象物の変化ではなく、見る側の意識の変化や認識の変化が、「ゲシュタルト崩壊」という事象を引き起こすのです。
さらにいえばゲシュタルト崩壊は、視覚だけではなく、聴覚や皮膚感覚においても顕在化する事象である、といわれています。

 

 

聴覚における「ゲシュタルト崩壊」

「一つにまとまった塊」としてのゲシュタルトが、思い込みや意識の対象の変化ひとつでその姿を変える例は、日本の古いことわざである「幽霊の正体見たり枯れ尾花」にも見て取ることができます。

 
本来物理的に存在しているのは枯れ木や枯れた花であっても、人間の思い込みや意識の持ち方、集中して認識する対象物のパーツの違いなどから、人によって別の物体に見えてしまう、なおかつその結果、人間の重要な機能である「脳による物体認識」が事実とは違った形でおこなわれ、それによって引き起こされる人間の行動にも差異が発生する、ということにもつながっていきます。

 
「ゲシュタルト崩壊」は、人間の不思議な反応のひとつであると同時に、普段「価値観の違い」や「性格の違い」、さらには「文化の違い」などでおおくくりされるような事象に対しても、何らかの影響をおよぼしていることが考えられます。
これは、視覚だけではなく、聴覚や皮膚感覚といった人間の五感全体が、同じ事象でも違って捉えた結果によって起こるもの、と考えられます。

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カテゴリ: その他

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