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賢くおもしろく利用するゲシュタルト崩壊!

ゲシュタルト崩壊

「ゲシュタルト崩壊」というと、何か病気や不健康なイメージを抱かれる方もおられるかとは思いますが、現在のところは、病気とも健康とも分類されておらず(かつては失認症の一種と捉えられていたこともあるようです)、むしろメリットも存在していて、積極的に楽しむことも可能な事象であることがわかってきました。
しかし、メリットがあればデメリットもあるものなので、このあたりは意識して「ゲシュタルト崩壊」を賢く活用したいものです。

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だまし絵の世界で手軽に楽しむ

19世紀から20世紀にかけて活躍し、「だまし絵」の第一人者として今も非常に人気のあるアーティストに、マウリッツ・エッシャーという人物がいますが、視覚的には三次元作品にしかみえない平面作品や、見る側の意識によっては何種類かに見ることができる絵画など、ゲシュタルト崩壊のプロセスを踏まなくとも、芸術エンターティメントとして楽しむことができます。

 
ただ、彼の作風は唯一無比ともいえるほど独創的で、なかなかフォロワー的な後進は出てきていないのが実情であるため、「なぜ彼がそのような作品を多数残すことができたのか」を研究すれば、「ゲシュタルト崩壊」の秘密も解明できるかもしれません。

 

 

「自分自身の認識崩壊」は危険

「ゲシュタルト崩壊」は、視覚や聴覚においては「見え方や聞こえ方が複数ある」ということで、命や健康に関わるような大きな問題には至らず、むしろエンターティメント性すらあることが想像できますが、「ゲシュタルト崩壊」のダークサイドやデメリットをあげると、「錯覚が自分自身の認識において発生した時」は、非常に怖い状態が発生する可能性があります。

 
代表的な悪い例をあげると、一般的にいわれる「洗脳」などが該当している、と思われます。
洗脳は「ゲシュタルト崩壊」を、個々の人間のアイデンティティ(=個体そのものというゲシュタルト)に対して、人為的に崩壊を起こしているものである、と解釈できます。

 
他者が対象者に対して、過去や現在を否定し、人格や存在までも否定してきます。
これを何度も繰り返し受けることで、ついには対象者は「自分が誰なのか、何がしたいのか」すらわからなくなってしまう、といいます。

 
崩壊させてはいけないゲシュタルト、また、他者が洗脳を仕掛けてきたら、毅然としてはねつけて、守らなければならないゲシュタルトは、「自分は自分である、と認知している状態の、自分自身の総体(=ゲシュタルト)」なのです。

 
漢字やひらがなにおけるゲシュタルト崩壊や、エッシャーのだまし絵などを見るにつけ、楽しい要素の一部に、ややダークといいますか、ネガティブな要素も感じてしまうのは、「ゲシュタルト崩壊」が自分自身に向けられた際に感じるであろう、防衛本能のようなものなのかもしれません。

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カテゴリ: その他

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