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聴覚に起こるゲシュタルト崩壊の例。音楽でも起こるの?

ゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト崩壊は、視覚的な現象であるばかりか、聴覚や皮膚感覚、顔認識などでも起こりうる不思議な現象として知られています。
これらゲシュタルト崩壊の対象となる人間の五感に共通する要素としては、「人間の認識が軸になっている」、つまり、「思い込みにも似た過去の学習の結果が、認識の大前提になっていること」があげられます。
これは視覚的なものや顔認識だけではなく、聴覚や皮膚感覚も然りで、「一面的かつ単一的な思考しか持っていない限りは、起こりうる事象である」といえそうです。

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「一面的かつ単一的な思考」とは

ゲシュタルトの崩壊そのものや、その事象を引き起こす原因を考えるとき、「起こらないとするとどのような状況か」、つまり「ゲシュタルト崩壊が起こる前提をなくすとすれば、何を消滅させるのか」といったアプローチで考えていった場合、例えば聴覚におけるゲシュタルトとは何か、というところに目を向けてみましょう。

 
まず、耳で聞こえる「音」というものは、よっぽどの閉じた世界ではない限り、無数の音の構成要素によって成り立っています。
たとえば音楽は、音の塊としてざっとひとまとまりに聞こえてくるものなのですが、特定の楽器に興味がある、またはプロデューサー的な思考の持ち主、つまり「複数の楽器を使って、イメージを持ったある一つの大きな音の塊を作ろうとする」、または、「複数の音を使って、作品としてひとつのイメージや目的を成し遂げようとする」という思考で音を聞いた場合には、すでに出発点からして「ゲシュタルトが崩壊している状態」なのかもしれません。

 
この逆が、「一面的かつ単一的な思考」です。
まとまった音ならまとまった音、個別の音なら個別の音など、「聞こえてきたままをそのまま認識し、深追いをしない状態」が、「ゲシュタルト崩壊していない聴覚の状態」である、と考えられます。

 

 

人間ならではの「ゲシュタルト崩壊」という感覚

そうすると、聞こえてきた音、つまり「何らかの認識を持って聴覚が受け入れたモノ」に対して、思考や思弁を施さない限り、「ゲシュタルト崩壊」は起こり得ないわけです。

 
ここにも「人間の認識」における、ふたつの要素が垣間見えます。
ひとつは「なにかをしながら別のことを考える」という脳のマルチタスク機能と、「一つの音を聞いた場合に、塊としてでもパーツの集合物としてでも認識することができる」という認識処理機能です。
このふたつの人間特有の機能こそが、ゲシュタルト崩壊を生み出し、聴覚にも影響をおよぼしているのではないでしょうか。

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カテゴリ: その他

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