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ギリシャ神話に描かれたケンタウロス族とラピテース族の争い

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ギリシャ神話に語られる「ケンタウロス」の物語で特に有名なのが、「ラピテース族」との争いの物語です。

ケンタウロスの一族が、テッサリア地方の神話のなかの民族であるラピテース族の、初代王ペリパースの孫であるイクシーオーンから生まれたという物語を別の記事でご紹介しましたが、つまり半人半馬のケンタウロス族と人間のラピテース族は近親の一族であったということです。

しかし、この同じテッサリア地方の住民である2つの一族は、これからご紹介する出来事によってとても険悪な仲となってしまったのでした。

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ラピテース族の王の婚礼で起こった事件

帝政ローマ時代の初期の詩人オウィディウスの叙事詩「変身物語(転身物語)」は、ギリシャ・ローマ神話の集大成といわれています。この「変身物語」に、ラピテース族の婚礼にまつわる「ラピテース族とケンタウロス族との戦い」という物語があります。

現在のギリシャの首都アテネの地にあった都市国家アテナイの伝説的な王テーセウスは、テッサリアのラピテース族の王ペイリトオスととても仲が良く、一緒に冒険に行くような間柄でした。ペイリトオスはケンタウロス族の生みの親のイクシーオーンと妻のディーアとの間の子であるとも、また最高神ゼウスとディーアとの間に生まれた息子であるともいわれています。

このペイリトオスが、アテナイの王族で神官のブーテースとラピテース族の王女コローニスとの間の娘ヒッポダメイアと結婚することになり、アテナイ王テーセウスも花嫁の介添人として結婚式に出席することになりました。

そして祝宴にはオリュンポスの神々やテッサリア地方の各部族、そしてケンタウロス族も招かれていたのですが、事件はその披露宴で起こったのでした。

 

酔ったケンタウロス族の暴挙がついには殺し合いの戦闘に!

ケンタウロス族の者たちは、じつは葡萄酒を飲むのが初めてでした。古代ギリシャでは葡萄酒は水で薄めて飲むのですが、ケンタウロスたちはそれも知らずに飲んでしたたかに酔って騒ぎ出してしまいました。

花嫁のヒッポダメイアが挨拶に来ると、ケンタウロス族のエウリュトゥスがその花嫁を攫って犯そうとまでしてしまいます。さらには他のケンタウロス族の者たちも、てんでに女性たちに襲いかかろうとしたのでした。

花婿のペイリトオスは、アテナイ王テーセウスとともにケンタウロス族を追いかけ、エウリュトゥスを殺してヒッポダメイアを救出します。さらにテーセウスやラピテース族の者たちは、逃げる多くのケンタウロス族の者たちを殺してしまいます。

しかしこの戦闘はさらに続き、とりわけテーセウスの強さと奮戦ぶりには目を見張るものがありました。またラピテース族の王族であるカイネウスも、5人のケンタウロス族を倒します。

このカイネウスは、もとはカイニスという名の女性でしたが、あるとき海神のポセイドーンに犯され、男性になりたいというカイニスの願いにポセイドーンが償いとして不死身の身体を持つ男性に変えたのでした。しかし不死身である筈のカイネウスも、ケンタウロス族たちがその身体の上に大木を何本も積み重ねて、ついには殺されてしまいました。

 

ケンタウロス族とラピテース族との反目と戦い

この争いで多くの者たちが命を落とし、数百ものケンタウロス族が死んだとされています。この日の戦闘は、アテナイ王テーセウスの助けもあってラピテース族の勝利に終わり、ケンタウロスの一族はわずかな数となり、テッサリア地方を追われてギリシャ南部のペロポネソス半島のアルカディア地方の山にまで逃げたといわれています。

しかしこの事件を端緒としてケンタウロス族とラピテース族の反目は長く続き、後にラピテース族は戦いに敗れてテッサリアの土地から追い出されてしまったともいわれます。またこの争いは、ペイリトオスの婚礼に招かれなかった戦の神アレースと不和と争いを司る女神エリスの企みだったという伝説もあります。

後世には、ケンタウロス族とラピテース族の戦いは多くの芸術作品の題材となりました。特にアテネのパルテノン神殿のメトープと呼ばれる彫刻は、様々な神話の物語を題材としていますが、神殿の南側にあるメトープにはケンタウロス族とラピテース族の戦いの様子が描かれています。

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