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龍の色の謎 ‐ 龍族と太陽族の争いはあったのか?

青龍

今からおよそ5700年前、地球上が温暖な気候であった「ヒプシサーマル」の時期が終わり、各地が寒冷となっていくにつれて、赤い龍と玉(ぎょく)、そして女神を崇拝する畑作狩猟牧畜文化の遼河文明(紀元前6200年頃から紀元前500年頃)の人々は、より温かく快適な地を求めて南下して行きました。

長い旅を経て最終的に辿りつき、遼河文明の人々が向き合ったのは、中国のもうひとつの古代文明である「長江文明」(紀元前14000年頃より紀元前1000年頃まで)だったのではないかと考えられています。稲作と漁労の文化である長江文明には、当然に異なる民族、違う神様がいます。そこにははたして対立や争いはあったのでしょうか。

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龍族と太陽族との抗争はあったのか

長江流域に住んで長江文明を担っていたのは、現在は少数民族となってしまった「苗族(みゃおぞく)」という人びとだと考えられています。長江文明と龍(龍蛇)との関わりについては、以前にべつの記事でもご紹介しましたが、温暖で早くから稲作文化が栄えたこの文明で尊ばれたのは、農耕に恩恵を与える太陽、そして生産を司る生命の再生と循環でした。

つまりは、雨が降り水田となり、河に流れて行く水の循環であり、その生命力と脱皮が再生を思わせる生態によってシンボルとされたのが蛇であったわけです。長江文明の人びとは、太陽を崇拝し蛇を神として崇める民族だったと考えられています。

一方で北方から南下して来た遼河文明の人びとは、いわば龍族。それも「猪龍」や「鹿龍」など森の恩恵から生まれた龍を崇拝する民族です。2つの文明と民族の出会いに、どうやら長い対立や抗争があったのではないかという説があります。

長江文明では龍の地位はムカデの下!?

長江文明の担い手であった苗族の伝承では、最高の神は太陽でありそのシンボルは太陽を運ぶ、つまり日の出を告げる雄鶏であるとされています。この辺は、天と大地の四方を司る四神の「朱雀(すざく)」や同じく鳥の霊獣の「鳳凰」につながってくるのかも知れません。朱雀とニワトリの謎については、朱雀を扱った別の記事で探っていますので、そちらを読んでいただければと思います。

さて、太陽と雄鶏の次に尊ばれるのが、山の神であるムカデだそうです。そしてムカデの次が龍で、龍は水の神であるとされています。遼河文明では龍はいわば森の神でしたが、長江文明の苗族では水の神となり、そして順位もムカデの次とずいぶん地位が低く考えられていたようです。

この龍は、どうやらもともと尊ばれていたヘビと合体した龍蛇と思われますが、長江文明側から見ると龍は太陽や雄鶏には遠く及ばず、ムカデの下。ましてや森の神としての龍は水の神へと変質してしまっています。

この苗族も、結局はもう一つの古代中国の文明である「黄河文明」(紀元前5000年頃より紀元前1600年頃まで)の担い手である漢民族に追われ、ついには山岳地帯の少数民族になってしまいました。

ちなみにインドの神話に登場する火の鳥「ガルーダ」は龍蛇族と争い、終には龍蛇神の「ナーガ」を滅ぼします。古代世界では様々なところで、このような鳥神と龍蛇神との争いがあったのでしょうか。しかし中国ではインド神話と違い、結局は龍が勝つことになったようでした。

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