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日本の幽霊は足がない?江戸時代には三大幽霊がいた!

霊感

幽霊は足がなくてふわふわと浮遊しているもの、というのが一般的ですが、そういった幽霊のイメージを初めて描いたのは誰なのか、ご存知でしょうか。
それは、江戸時代の画家である「円山応挙」という人だと言われています。

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円山応挙の「幽霊図」

応挙が足のない女性の幽霊を描いたことから、日本の幽霊には足がない、というのが一般的になったとされているのです。実際には応挙の幽霊図よりも以前の17世紀に描かれた、「花山院きさきあらそい」という浄瑠璃本の藤壷の挿絵で足のない幽霊が描かれているので、応挙が初めて足のない幽霊を描いたというわけではないようですが。

 
応挙が描いた「幽霊図」と呼ばれる有名な作品は、正式な題名を「反魂香図」というもので、反魂香というのは焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香。応挙の絵では小さな香炉から立ちのぼるひとすじの煙の中から、白無垢姿の遊女とおぼしき足のない幽霊が描かれています。

 

 

江戸時代に描かれた幽霊たち

円山応挙よりも20歳ほど年上で同時代の画家である「鳥山石燕」という人は、多くの妖怪画を描いたことで知られています。応挙が足のない女性の幽霊のイメージを初めて描いて定着させた画家だとしたら、鳥山石燕は多くの妖怪の姿を人々に紹介した画家だと言えるでしょう。

 
この鳥山石燕の「図画百鬼夜行」という画集には、幽霊の図もあります。石燕の幽霊は墓場とおぼしき場所に立ち、頭に三角頭巾を巻いて長い髪を垂らし死装束をまとっています。足はあるのかないのか、隠れていて見えません。

 
また、鳥山石燕に影響を与えたという「佐脇嵩之」という画家の妖怪画集「百怪図巻」にも幽霊が描かれていて、こちらの幽霊はやせ細った身体に白く透けたような衣装を身にまとって、顔ははっきりとしているものの身体は薄ぼんやりとしています。
このように幽霊とは、特に下半身がはっきりとはしない姿で現れる、という共通した認識が江戸時代には生まれていたのかも知れません。

 

江戸時代の三大幽霊

室町時代には歴史上著名な人たちの怨霊が有名になって、三大怨霊と言えば菅原道真、平将門、崇徳上皇でした。江戸時代になると、今度は三大幽霊とでも言える怖い女性たちが現れます。

 
それは三大怪談話の主人公で、まず第一は「四谷怪談」の「お岩さん」。そして「番長皿屋敷」の「お菊さん」、さらに「牡丹灯籠」の「お露さん」です。そのほかに「真景累ヶ淵(かさねがふち)」の「お累(るい)さん」も挙げられるでしょうか。

 
四谷怪談は鶴屋南北の「東海道四谷怪談」が元となって、歌舞伎の演目や落語などで演じられました。番長皿屋敷は姫路を舞台とした「播州皿屋敷」が歌舞伎や浄瑠璃で上演され、それが江戸を舞台とした講談や芝居の話になったとされています。

 
牡丹灯籠は江戸時代の落語家である三遊亭円朝の怪談噺で、これも明治時代になって歌舞伎の演目となりました。また真景累ヶ淵は明治時代の三遊亭円朝によって創られた怪談噺で、江戸時代に広まった「累ヶ淵」の物語を元にしており、江戸時代にも歌舞伎や浄瑠璃になっています。
このように、江戸時代の有名な幽霊たちは歌舞伎や浄瑠璃、落語といった町人文化のなかで人々に広まっていったのでした。

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