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八百比丘尼は全国各地に何人もいた!?(3)千代姫の伝説

八百比丘尼

人魚の肉を食べて不老不死となった「八百比丘尼(やおびくに)」は、もとはたいてい漁師か漁師の長者の娘です。また、八百比丘尼伝説の中心である若狭国(福井県)をはじめ、北は青森の西津軽郡から佐渡島、西は長門国(山口県)の青海島まで、日本海を繋ぐ大きな流れがあるようにも思われます。
しかし、漁師やその長者の娘でもなく、人魚とも日本海とも関係なく、そもそも海とは直接関わりない場所にも八百比丘尼伝説があるのです。今回はその、もうひとつの八百比丘尼伝説をご紹介することにしましょう。

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福島の喜多方にある八百比丘尼が建立したお寺

福島県の喜多方市に「金川寺」というお寺があります。福島県の北西部の内陸に位置する喜多方市といえばラーメンが有名ですが、この海から遠く離れた場所にある金川寺は八百比丘尼が開いたお寺だと伝えられているのです。境内には「比丘尼堂」があり、八百比丘尼の像が祀られています。
この金川寺に伝えられている八百比丘尼伝説は、こんなお話です。

 
文武天皇の時代(697年から707年)、諸国に凶変が続いて起こり天皇は心を痛めていました。そこで秦勝道という人が天下太平の策を天皇に奏上したのですが、奸臣に讒言されて逆に天皇の怒りをかってしまい、会津の更級の庄に流罪となってしまいました。秦勝道は、渡来氏族で聖徳太子の側近として活躍した秦河勝の孫だとされています。
更級の庄の人々は流されて来た秦勝道の人徳を慕い、やがて村長の娘と結ばれて「千代姫」をもうけました。

 

 

九穴の貝を食べて不老不死になった千代姫

この頃、村人たちは庚申神(道教・密教・神道・修験道などが混淆した信仰)を祀っていて講という集まりを行い、秦勝道も加わっていました。ある日、この講に庚申神が老人に姿を変えて現れ、次の講は自分のところに来るが良いと村人たちを誘います。

 
次の講の当日、その場所である駒形山の麓の権現堂渕に行ってみると、その渕の水底に家があると老人は言います。皆が老人について行くと、そこは龍宮のようなところでした。秦勝道と村人たちはたいへんなもてなしを受け、お土産に「九穴の貝(くけつのかい)」を貰って帰りました。九穴の貝とは貝殻に9つの穴があるアワビで、これを食べれば長寿を得るというものです。

 
村人たちは気味悪がって皆この九穴の貝を捨ててしまったのですが、秦勝道だけはとても貴重なものだと持って帰り、娘の千代姫に与えました。千代姫は喜んでこれを残らず食べます。するとそれから姫は年を取らず、賢く才芸に優れ、様々な物事を見通すことができるようになりました。
やがて秦勝道も妻もこの世を去り千代姫だけが残されましたが、かたくなに婿を娶るのはこばみ、髪を落として比丘尼となって諸国を巡り、各地で奇跡を起こしたと言います。

 
千代姫が500歳を超えた鎌倉時代の後嵯峨天皇の頃(1242年から1246年)に疱瘡が流行り、天皇の勅命を受けて京の都で祈祷を行いました。その結果、疱瘡の流行り病は消え去り、千代姫は天皇から妙蓮尼という称号と紫衣(しえ)を貰ったと言います。

 
その後、故郷の地に帰り、金川寺を建立して阿弥陀像、聖徳太子像、さらに自らの像を刻んで作り寺に納めました。そして、私の名を唱える者は例え短命であっても、それを転じて長命にしましょうと約束したと言われています。

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