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八百比丘尼は全国各地に何人もいた!?(1)青海島のお静伝説

八百比丘尼

不老不死の女性「八百比丘尼(やおびくに)」が、実は何人もいたという謎があります。人魚の肉を食べて800年生きた人がそんなにいるとは思えないのですが、これはいったいどういうことなのでしょうか?
この八百比丘尼が複数いたという説の根拠は、八百比丘尼伝説やその類いの伝承が日本の実に広範囲の地域で伝えられているからなのです。その伝承の数は、28都府県の121ヵ所にも及ぶのだとか。その8割は東日本で、なかには海のない栃木県、群馬県や岐阜県にも伝わっているそうです。

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日本海に浮かぶ青海島の「お静伝説」

八百比丘尼の伝説は若狭国(福井県)のものが有名ですが、八百比丘尼伝説の原型のひとつではないかとも言われる伝承が、長門国(山口県長門市)の青海島に伝わっています。青海島は山口県の日本海側に浮かぶ島で、古代から日本海沿いに海の航路が若狭国やその先にも繋がっていたと思われ、またかつては沿岸捕鯨の基地としても栄えたそうです。さて、その伝承はこんなお話です。

 
青海島の長者のひとり娘、お静は島でも評判の美しい娘でした。娘が可愛くてしかたのない長者は、ある日のこと漁師に頼んで人魚を捕まえてきてもらい、その肉をお静に食べさせたのだそうです。
人魚の肉を食べたお静は、それからというものまったく年を取りません。婿を迎えてもいつまでも若い娘のままで、婿は先に死んでしまいます。不老不死に悩み続け数百年生きたお静は、ついには海に身を投げ自身が人魚になったということです。お静が身を投げた場所は、現在では静ヶ浦と呼ばれています。

 

 

八百比丘尼にならなかったお静

青海島の伝承は、若狭の八百比丘尼伝説とは多少異なっています。まず、人魚の肉を思いもよらず食べたのではなく、父親が積極的に食べさせたということです。つまり青海島の長者は、人魚の肉の何らかの効用を知っていたということなのでしょう。また、不老不死は悲劇を生むというのは同じなのですが、娘は比丘尼(尼の出家修行者)にはならず、海に身を投げて自分が人魚になってしまいます。

 
どうして人魚になってしまったのかはわかりませんが、諸国を巡る比丘尼とはつながりがないということなのでしょう。西日本には八百比丘尼伝説が少ないのですが、この青海島の伝承と関係があるのかも知れません。
また、八百比丘尼伝説が伝わる最も西は佐賀県なのだそうですが、人魚の肉を食べて不老不死になった女性の伝説は、もしかしたら日本海のどこかのお話であったのかも知れない、ということなのでしょうか。

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