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八百比丘尼は全国各地に何人もいた!?(2)青森と佐渡の八百比丘尼

八百比丘尼

不老不死の女性「八百比丘尼(やおびくに)」が、実は何人もいた。
この謎は、八百比丘尼伝説やその類いの伝承が、日本全国のうち28都道府県121ヵ所にも伝わっていることから来ています。その8割は東日本で、北は岩手県から西は佐賀県まで、とても広範囲に及んでいるのだそうです。

 
別の記事では、長門国(山口県長門市)の青海島に伝わっている、人魚の肉を食べて不老不死となり、ついには海に身を投げて自身が人魚となった「お静伝説」をご紹介しました。
長門国は本州の西の端ですが、本州の北の端、青森県の西津軽郡にも人魚の肉を食べて不老不死になった伝説が遺されています。

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青森の西津軽郡の不老不死となった女性

むかし西津軽郡に、浜に打ち上げられた魚を拾って生活する夫婦と子どもの家族がいました。
ある日、子どもが魚を拾って来たので、それでは3人で食べようと3つに切って焼いたのですが、妻があまりに美味しそうな匂いにつられて、つい三切れとも食べてしまいました。

 
するとその妻は、まるで17、8歳の娘のように若返ったのでした。夫に叱られた妻は家出をしてしまいます。そしてそれから何百年という長い年月が経った頃、鯵ヶ沢(西津軽郡鯵ヶ沢町)の人が石巻湊(宮城県)でひとりの尼に出会ったのですが、この尼が何百年も前に家出したあの妻だったのでした。
実は子どもが浜で拾って来た魚は人魚で、この妻は人魚を食べたために不老不死になったということなのでした。

 

 

佐渡島の八百比丘尼伝説

青森県の西津軽郡は日本海に面する地域です。青海島そして八百比丘尼伝説の本拠地とも言える若狭国(福井県)小浜と、日本海を西から北まで繋いで八百比丘尼伝説または人魚の肉を食べて不老不死になった女性の伝説があることがわかります。

 
日本海に浮かぶ佐渡島にも若狭国とよく似た、また若狭と関係のある八百比丘尼伝説が伝わっています。
佐渡の八百比丘尼は尼となって若狭に住んだあと、故郷が恋しくなって佐渡島に帰ります。故郷の村人は誰もこの若い尼を知らなかったので、「ここで生まれたという証拠を見せろ」と迫ると、子どもの頃の記憶から「粛慎人(みしはせびと)」を葬った「ミシハセのクマ(隈)」に案内しました。

 
「粛慎人(みしはせびと)」とは、日本海の反対側の現在のロシア沿海地方に住んでいたとされるツングース系狩猟民族のことです。日本書紀の記述では544年に佐渡島にやって来て土地を取ろうとしましたが、土地の神様が怒って多くが毒水にあたって死んだのだそうです。「ミシハセのクマ(隈)」はその粛慎人が葬られた場所で、古代のことですので長い間わからなくなっていました。

 
その場所を八百比丘尼が教え、村人が掘ったところ人骨が出て来たことから、この場所を知っている尼が遥かむかしにこの村で生まれたという話に村人たちは納得しました。
やがて八百比丘尼はふたたび若狭に戻り、1000年の寿命のうち200年を若狭の殿様に譲って、自らは小浜の空印寺の洞窟に入って入定したということです。

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