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八百比丘尼は全国各地に何人もいた!?(4)比丘尼たちの謎

八百比丘尼

「八百比丘尼(やおびくに)」伝説は、若狭国(福井県)を拠点として日本海を辿って北は青森県の西津軽郡まで、また約八割を占める東日本を中心に全国28都府県121ヵ所にも及ぶそうです。
なぜこれほどまでに、日本の各所に広がって八百比丘尼伝説が伝わっているのか?その謎を解くカギは、どうやら「比丘尼」にあるようです。

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比丘尼とはどんな女性たちだったのか?

比丘尼とは、一般には20歳以上の未婚の、また結婚経験があっても一定期間を置いて出家修行をしている女性のことを言います。つまり修行中の尼さん、ということです。ちなみに、7歳以上20歳未満の出家修行中の女性は「沙弥尼(しゃみに)」と呼ばれるのだそうです。

 
男性の場合は「比丘(びく)」と言い、この比丘とは本来「乞食(こつじき)」のことで、まったく生産活動を行わず、誰かからお布施を受けて生活・修行をしている者を指します。
古墳時代の584年に蘇我馬子が出家させた3人の女性が日本最初の尼僧ですが、当初は神道の巫女と同じような役割だったそうです。しかしその後、尼を含めて女性が仏教に接することは厭われ、本当の意味での出家した尼僧は少なかったようです。

 
それが鎌倉時代になると仏教も女性の救済を説くようになり、尼僧や比丘尼の数も増えて行きました。鎌倉時代から室町時代には、在野の修験巫女も頭髪を剃って比丘尼と呼ばれるようになります。神仏混淆の時代ですから、修験道も絡んで神道の巫女も含め比丘尼になって行ったようです。また修験道の山伏や行者と夫婦になって、祈祷を行う比丘尼もいたのだとか。
このような多くの比丘尼たちが、全国各地を遊行(布教や修行で巡り歩くこと)した鎌倉時代から室町時代の頃が、まさに八百比丘尼伝説が広く知られるようになった時代でした。

 

 

古代社会の裏で繋がる秦一族と八百比丘尼

日本の中世・室町時代は、様々な物事が生まれ広く伝播する猥雑な時代でした。そのなかで比丘尼も広まり、例えば熊野権現の勧進(布教を行い浄罪を集める行為)を目的に諸国各地を巡り歩く「熊野比丘尼」が現れました。

 
彼女たちは、地獄・極楽の絵図を見せて「絵解(えとき)」という物語を語る芸能のようなことをしながら、熊野牛頭符(熊野の神札)や酢貝(アワビの酢漬け)を配り、俚謡(民謡)や小歌を歌って浄財を人々から貰い歩きました。そして、各地を巡る遊女でもあったと言いますので、美しい女性も多かったのではないかと思います。

 
酢貝(アワビの酢漬け)と言えば、会津の八百比丘尼伝説で千代姫が食べて不老不死となった「九穴の貝(くけつのかい)」という、貝殻に9つの穴があるアワビが思い出されます。アワビは古来、延命長寿の食べ物とされ「不老貝」とも書き、女性のシンボルとも言われます。

 
さて、この熊野比丘尼のような女性たちが諸国を歩いて、各地に八百比丘尼伝説を広めて行ったのではないかと考える説があります。そういえば別の記事でご紹介しましたが、京の都に現れた八百比丘尼を記録した「臥雲日件録」「唐橋綱光卿記」「中原康富記」の記述には、八百比丘尼は家の中に籠ってなかなか見る(会う)ことができず、会うためにはお金を払う必要があったという内容がありました。諸国を巡る熊野比丘尼が芸能者であり遊女であったように、もしかしたら京の都に現れた八百比丘尼は、最も高級で神秘のベールに包まれた芸能者であったのかも知れません。

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