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巨人ダイダラボッチ伝説の中心地・東京に遺る数多くの痕跡とは?

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東京都内や近郊にお住まいの方でしたらご存知かと思いますが、八王子方面に伸びる京王線の新宿から5つ目に代田橋(だいたばし)という駅があります。この代田橋駅という名前は、かつての代田村(現在の世田谷区代田)に橋があったことから来ているのですが、それではその「代田」という名称の由来をご存知でしょうか。

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戦国時代(16世紀)には既に「代田屯」という名称が文書に遺っているとのことで、とても古い名前で一見すると「代りの田んぼ」の意味なのかとも思うのですが、この「だいた」とはなんと「ダイダラボッチ」の「ダイダ」から来ているのだそうです。

それではダイダラボッチとは何なのか? そう、ダイダラボッチというのは日本各地で伝承されてきた、とてつもない大きさの巨人のことなのです。

 

代田橋にはダイダラボッチの巨大な足跡が遺っていた!?

明治から大正、昭和にかけて日本の民俗学を確立した柳田國男に『ダイダラ坊の足跡』(1927年)という著作があります。そのなかで、代田橋のダイダラボッチについて触れられています。この名前の由来説は、江戸時代前期の仮名草子で江戸地誌にもなっている『紫の一本(むらさきのひともと)』に登場するそうで、代田橋という橋はダイダラボッチが一夜にして架けた橋で、またダイダラボッチの足跡も遺っているとか。柳田國男はそれを実際に確かめに足を運んでいます。

玉川上水に架かっていた代田橋も、足跡とされる窪地または池も現在はありませんが、柳田國男が訪れた頃は確かにあって、右足の足跡の長さは百間と言っていますから約180mもの巨大さです。仮に身長170cmで足のサイズが26cmとすると、その比率で言えばこの足跡を遺したダイダラボッチの身長は1,177mにもなります。『進撃の巨人』に出てくる超大型巨人の身長が60m級ですから、それよりも遥かに巨大ですよね。

 

洗足池はダイダラボッチの小便でできた!?

柳田國男によると、この代田村のほか駒沢村(現在の世田谷区)にもダイダラボッチの足跡はあったそうです。また隅田川を渡る「豊島の渡し(六阿弥陀の渡し)」(現在の足立区宮城と北区豊島に架かる豊島橋の上流200mにあった渡し)の近くには、「大道法師(ダイダボッチ)の塚」という土が盛り上がった塚があったことも紹介されています。この塚は、ダイダラボッチが履いていた草蛙(わらじ)に付いた土砂が落ちてできたという伝承があり、その周囲は3間(約5.4m)と言いますから、それほど大きなものではなかったようです。

そのほか、ダイダラボッチが千束の辺り(現在の大田区南千束と北千束)を歩いていて、杖を突いてふんばり小便をしたところ、右足をふんばって盛り上がったのが「摺鉢山」(現在の東急線大岡山駅付近)となり、左足でくぼんだ場所が「狢窪(むじなくぼ)」(現在の大田区北千束)となったそうです。そして、ダイダラボッチの小便が溜まったところが「洗足池」なのだとか。現在は桜の名所としても知られる洗足池が、巨人の小便が溜まったものというのも何ともな話です。

このように東京都内にはダイダラボッチ伝承にちなむ場所が多く、その数は30ヶ所もあるそうで、東京はダイダラボッチ伝説の中心地のひとつとも言えるのです。

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カテゴリ: その他

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